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残酷世界史
2013年08月13日「酷すぎる…」って思う歴史上の出来事

:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1376314599/
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:36:39.30 ID:JcB+izV40
ルワンダ虐殺
人間ってあそこまで残虐になれるんだな

ルワンダ虐殺
1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。
1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・
ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺から
ルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間
に、フツ系の政府とそれに同調する過激派フツによって、
多数のツチと穏健派フツが殺害された。

正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、
およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の
10%から20%の間と推測されている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ルワンダ虐殺

4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:37:14.52 ID:L45J5iEq0
人体実験

【閲覧注意】人体実験とか拷問の怖い話教えてよ
 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4226992.html

12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:39:18.37 ID:6XGuiH5i0
>>4
ナチスがやった双子に対する実験とかヤバい…

16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:40:10.24 ID:uPnKCfwk0
>>12
kwsk

26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:43:02.45 ID:6XGuiH5i0
>>16
強制収容所にいた双子の子供に対して行われた実験の目的は、
人体を人為的に操作できるかどうかを観察するのと同様に、
双子の遺伝子の類似性と相違性を示すためであった。
実験の中心的なリーダーはヨーゼフ・メンゲレであり、
彼は1943年から1944年にかけて、アウシュヴィッツに
収容されていた双子1,500体に対して実験を行った。
わずか100人の被験者のみが生き残った。

彼はルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンで、
哲学や人類学や古生物学に重点を置いた医学を学ぶ間に、
「(ファシズムという)簡潔な政治概念が、遂には私の人生
において決定的な要素となった」と述べたと言われている。
メンゲレは、「簡潔な政治的概念」に新たな関心を示し、
医学と政治の融合が、彼のキャリアの選択において大きな
要素となった。

メンゲレは、「4種の人種グループを対象とした下顎部分の
人種的形態学的研究 (Racial Morphological Research on the
Lower Jaw Section of Four Racial Groups)」という
タイトルの論文により博士号 (PhD) を取得した。
この論文は人種は顎の形によって識別が可能であることを
提起していた。ナチスによって彼は研究の才能を見出され、
1943年5月30日、彼は占領下のポーランドに位置する
アウシュヴィッツ強制収容所に移動となった。彼は、
一般的に考えられているところとは異なり、アウシュヴィッツ
で唯一の医者であったわけではなく、高い地位にいたわけ
でもない(親衛隊の大尉であったエドゥアルト・ヴィルツ
(en:Eduard Wirths) が、アウシュヴィッツにおける医師の
責任者であった)。メンゲレは、双子に対する遺伝学的実験
を組織した。双子は年齢と性別によって分けられ、実験の
合間はバラックに収容されており、異なる薬品が双子の目
から注入され、色の変化があるかどうかを確認され、双子を
文字通り縫い合わせて結合双生児を作ることが試された。
 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの人体実験

1500人に実験して生き残ったのが100人らしい

43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:57:39.18 ID:rInX9z7V0
>>26
双子を縫い合わせて結合双生児を作る実験とかおぞましいな

50: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:15)
:2013/08/12(月) 23:11:27.06 ID:fLl7/Wpl0
>>43
これってただ縫っただけなの?

58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:17:40.71 ID:prnhuJxw0
>>50
縫い合わせただけで被験者の子供たちは
激痛に泣き叫んでいた

63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:25:07.53 ID:pQFXdY1+O
>>58
縫い合わせてどーすんだ?

83: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:15)
:2013/08/12(月) 23:49:38.48 ID:e9iXHw+D0
>>63
縫い合わせる前
「双子って融合させたらどうなるんだろう?
超人ができるのかな?」
縫い合わせた結果
「何もならないのか。」
ただこれだけ。縫い合わせることに
何か目的があったかといえば好奇心としか言えない。

5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:37:52.26 ID:18eOTjmn0
アヘン戦争

阿片戦争
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われた
戦争である。名前の通り、アヘンの密輸が原因となった
戦争である。アロー戦争を第二次とみなして
第一次アヘン戦争とも。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/阿片戦争
c0072801_16234180.jpg
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:38:35.48 ID:ny3iGlfG0
ポルポト

ポル・ポト政権、戦慄の歴史
「【日本】外国の怖い文化【タブー】」スレより転用。

●カンボジアのポル・ポト政権、戦慄の歴史

 20 名前: 本当にあった怖い名無し
 投稿日: 2005/03/23(水) 03:07:38 ID:nUBNjmPo0
カンボジアは北海道の2倍程度の面積の国だ。
人口は現在約1千万人。首都はプノンペン。
カボチャはこの国から伝わったのでその名がついた。
カンボジアの歴史は苦難の一言に尽きる。

かの有名な遺跡、アンコールワットが建設された12世紀
では、インドシナ半島で最強の国家だったものの、
その後は衰退の一途を辿った。

ベトナムやタイに領土を奪われ、
第二次世界大戦渦中はフランスの植民地だった。
その状況を打破したのが、王族の血を引くシアヌークだった。
大戦後、彼は国際世論を巧みに操り、フランスから国土を
解放した。1953年のことである。

この功績により彼は、『カンボジア独立の父』として民衆に
敬愛されることになる。多少独裁の色は濃いとはいえ、
彼の手腕で国はそれなりに機能した。
それでも、後のポルポトによる圧政時代と比べれば格段に
自由な時代で、当時を懐かしむ人々も多いという。
そう、それほどポルポトの時代は酷かったのだ。

1970年。米ソ冷戦下。
アメリカのバックアップでロンノル将軍がクーデターを
蜂起し、シアヌークは中国に亡命する。
クーデターを実際に画策したのはCIA。
完全にアメリカのわがままだった。

このアメリカの暴挙には、以下のような背景があった。
1961年からのベトナム戦争で、
アメリカは南ベトナムを応援した。
腐政に苦しむ南ベトナムの農民
&ベトナムの統一を目指す北ベトナム軍
VS
利益を守るために邪魔な共産主義を排除したい南ベトナム軍
資本主義のアメリカは、この構図にも関わらず
南ベトナムを応援した。

民衆の幸せなんて一切考慮していない。
ただ、北ベトナムの共産主義が気に食わないから、
南側を応援したに過ぎない。
ベトナムの南側と国境を接するカンボジアとしては、
南ベトナムが勝利して力をつけると、
自国が占領される恐れがあった。

よってシアヌークは、ベトナム寄りのカンボジア領に、
北ベトナム(解放軍)の補給基地をつくることを、
暗黙の上で了解した。これで南ベトナム軍は、
南北から挟撃される形になってしまった。

アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが、
国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。
ただ要請するだけでは、シアヌークは承知しない。
よってアメリカは、経済援助の凍結を武器に
何とか爆撃を認めさせた。そしてカンボジアの民衆ごと、
補給基地に爆撃を浴びせた。

ベトナム軍だけでなく、
カンボジアからも難民が大量に発生した。
この事実を証拠に、シアヌークが国際世論に訴えれば、
アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。
戦争に負ける。

そこで、カンボジアの要人・
ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、
カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。
『世界の警察』は随分身勝手なことをする。
むしろいない方がいいのでは?

ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないので、
アメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。
カンボジア人の死亡者は30万人。
200万人の難民が新たに発生した。



それと同時にロンノル政権は、重税をかけて国民を苦しめた。
亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。
賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。

そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、
ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことで、
クメールルージュは多数の志願兵を得た。
ここで解放軍の実質上のトップに、ポルポトが踊り出た。
ただし、この時点ではポルポトは温厚で、
農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。
兵士達も皆、友好的だったという。

そして、ベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも
関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは、
1975年にロンノル政権を倒し、
カンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまでは、ポルポトよりも
むしろアメリカの方が悪者である。
ここまでは。

ポル・ポト率いる解放軍は首都プノンペンに入ると、
すぐに民衆を着の身着のままで、
強制的に地方の農村部に移すということを開始した。
逆らう者は容赦なく殺した。次々と殺した。
同様の行いが、大小含む全ての都市でなされた。
これらはあまりに迅速に実行されたので、
国外に逃げられた人はほとんどいなかった。

そして国内を『平定』した後は、
以下の政策を迅速に施行した。
・私有財産の強制的な没収。貨幣制度の廃止。
・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止。
・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止。
・全ての教育機関の廃止と書物の焼却。
・仏教の禁止。寺や像の破壊。民族音楽や古典舞踊の禁止。
 (関係者は全て殺された)
・都市市民の農村部への強制移住。
・家族概念の解体。2~5歳以上の子供は全て親から隔離。
・自由恋愛の禁止。無作為の相手との強制的な結婚。

異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。
投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。
徹底していると普通は思うだろう。
これだけでも、歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。
しかし、ポルポトはそうは思わなかったらしい。

次にポルポトは、理想国家の建設のために協力者を集めた。

「例えロンノル政権に加担していたとしても、私は許す。
資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。
それから、海外に留学している学生も帰って来て欲しい。
理想国家を作るためには、君達の力が必要だ。
大切なのは、カンボジアの未来なのだから」

『国を良くするため』という言葉に共感した『インテリ』が
次々と現れ、それこそ、国内のほとんどの高い教養を得た
人々、海外に留学していた学生達がポルポトの元に集った。
彼らはポルポト兵に連れて行かれ、二度と帰って来なかった。

ポルポトは大嘘をついていた。
彼はフランスに留学していたので、
民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、
将来自分に歯向かうかもしれない民衆、
その指導者になれそうな教養を持った人間を、
一掃したかったのだ。そして民衆を、
少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた。

不満を言う者、働けない者はどんどん殺した。
「疲れた」と言っただけで、
スプーンをなくしただけで殺された。
次のような者も、即刻殺戮対象となった。
・眼鏡をかけている者。
・肌が白い者。
・手が綺麗な者。
そして、
・美形。
家族に至るまで、全て。

ポルポト率いるクメール・ルージュ政権は、密告を奨励した。
妻が夫を、夫が妻を、子が親を密告し、隣人を密告する。
そうした恐怖の密告社会の中で、国民は互いに殺し合った。
少しでも正義感が強いとか、
物事を考える者はそれだけで殺された。
家族、一族もろとも。
誰も信用できず、栄養が足りず、指導者もおらず、
反乱の芽は種になる前に焼かれた。
国民はポルポトに従うしかなかった。

ポルポト兵に入隊できるのは、13歳以下の少年に限られた。
ポルポトの意向通りに洗脳し易いからだ。
結果、少年達はポルポトを神とあがめ、
命令があれば肉親でも殺す鉄の兵隊になった。
そうしてポルポト兵は、狂信的集団へと収束していった。
1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間で、
カンボジアでは約300万人の死者が出た。
これは国民の1/3に当る大虐殺であった。

なぜ世界がこの虐殺を取上げなかったのか。
それには大まかに2つの理由がある。
1つは、ポルポトが徹底した鎖国政策をとり、
人の移動や情報を封鎖したこと。
もう1つは、突拍子のない話で、
真実味が感じられなかったこと。

実際に、何とかこの虐殺を報道するまでに至ったことも
あったが、自国民をそこまで意味もなく虐殺するなど
あり得ない、と判断されたのだ。
国家にとって何の利益ももたらさないではないか、と。
だから誰も信じなかったというわけだ。

しかし、虐殺疑惑の波紋は止め様もなく、
取材の依頼が殺到した。
拒否し続けて国連の視察団が来れば致命的、
と判断したポルポトは、
限定地域、限定期間での取材を承諾した。

そこでは裏工作がなされ、
平和な村を装ったので事実は隠蔽された。
疑問を解消できなかったジャーナリストの一部は、
果敢に独自の取材を展開したが、
そのほとんどは行方不明になった。
まず間違いなく、ポルポトの命で殺されたのであろう。

ポルポトによる狂気は、1979年のベトナム軍の侵攻を
もって、公式の上では終わりを告げた。
そこでベトナム軍の兵士たちは戦慄に震えた。
実はベトナムの情報筋も、クメール・ルージュによる
虐殺の噂は尾ひれのついたものであろうと、
たかをくくっていた。だが、蓋を開けたときに見たものは、
噂を遥かに超える『事実』だったのだから。

ポルポト軍は、タイ国境のジャングルへ逃げ落ちた。
ポルポトは逃げる前に、
軍人以外の民衆800万人を殺そうとした。
未然に防げたからいいようなものの、
もし実行されていれば、生き残ったのは軍人5万人と、
逃げていたカンボジア人5万人。
わずか10万人では、もはや国家とは呼べない。
カンボジア解放後、残った国民の85%が、
14歳以下の子供であった。

これらの出来事が起こってからまだ30年弱。
決して遠い昔の話ではない。つい最近に現実にあった悪夢。
これがクメール・ルージュ、そして純朴なる共産主義者
・ポルポトの夢見た、『理想』のなれの果てなのだ。

14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:39:46.40 ID:ptP/WOGD0
王女が民衆の目の前で生出産

75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:40:10.99 ID:fCLBM1k/O
>>14
「この子供は間違い無く王女の子供である」
って言う証人を得る為だよな

18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:40:50.83 ID:0dRfmg+c0
欠地王ジョンという存在
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン (イングランド王)

19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:41:00.67 ID:ju9KYEG7P
コロンブスアメリカ上陸に伴う先住民大虐殺
末裔曰くコロンブスはヒトラーが不良少年に見えてしまう
レベルの大罪人
c0072801_16262729.jpg
コロンブスの悪行
「コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。
コロンブスが快復するまでに、
5万人以上のインディアンの死が報告されている。
やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、
彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。

1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、
そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。
再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、
スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、
非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、
数千人単位の虐殺を指揮した。

コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、
スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
スペイン軍は面白半分に彼らを殺す楽しみを
決してやめなかった。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に
約800万人いたインディアンの人口は、
1496年の末までに、その3分の1までに減った。
さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。

量的にもスケール的にも、コロンブスは、
エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、
虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、
征服者の一人」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・コロンブス

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:44:49.81 ID:JcB+izV40
>>19
しかも西洋人が持ち込んだ病気が原住民に感染して
かなり死んだらしいな

89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:57:24.15 ID:zUmIy5Mz0
>>19
昔は勇敢な冒険家なイメージだったけど
事実を知った途端、あのコロンブスの肖像画が
とんでもなく凶悪に見えてくるから不思議
wikiにも思いっきり大量殺戮者って書かれてるし

23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:42:15.94 ID:VC9fDi6l0
アポロ、月面着陸の嘘

「アポロは月に行ってない」これはガチだと思う。
 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3860909.html

29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:45:27.27 ID:ItALMvrU0
カノッサの屈辱
c0072801_16271485.jpg
聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立
していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、1077年1月25日
から3日間に及んで雪が降る中、カノッサ城門にて裸足のまま
断食と祈りを続け、教皇による破門の解除を願い、
教皇から赦しを願ったことを指す。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/カノッサの屈辱

32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:48:03.33 ID:5ql6DTpG0
プラハ窓外投擲事件
c0072801_16292087.jpg
 http://ja.wikipedia.org/wiki/プラハ窓外投擲事件

33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:48:37.66 ID:hAdyoyXv0
サン・バルテルミの虐殺
c0072801_16295034.jpg
 http://ja.wikipedia.org/wiki/サン・バルテルミの虐殺

35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:49:19.29 ID:8y6Abk/I0
植民地時代のヨーロッパ>>>共産主義>>>ナチス
>>>昔の中国

こんな感じ

45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:02:00.85 ID:2/RwGPgi0
>>35
共産主義が一番だろ
あとキリスト教も入る

旧ソ連の恐い話
 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4350424.html

39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:52:51.71 ID:0wIXoqAV0
オーストラリアに上陸した白人どもの先住民に対する
仕打ちはマジで人間のやることじゃない

42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 22:55:17.42 ID:JcB+izV40
>>39
タスマニア原住民がすぐ全滅したからな。
オーストラリア本土の原住民もかなり減ったが
c0072801_16312187.png
西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、
50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内
に生活していた。言語だけでも250、部族数に至っては、
700を超えていた[要出典]。

しかし、1788年よりイギリスによる植民地化によって、
初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚はスポーツハン
ティングとして多くのアボリジニを殺害した。
「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」
と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に
残されている。

1803 年にはタスマニアへの植民が始まる。入植当時
3000~7000人の人口であったが、1830年までには
約300にまで減少した。虐殺の手段は、同じくスポーツ
ハンティングや毒殺、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成
されたという。数千の集団を離島に置き去りにして餓死
させたり、水場に毒を流したりするといったことなども
行われた。

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、
イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が
施行された。捕らえられたアボリジニ達は、ブルーニー島の
キャンプに収容され、食糧事情が悪かった事や病気が流行
した事から、多くの死者が出た。

これによりアボリジニ人口は90%以上減少し、ヴィクトリア
とニューサウスウェールズのアボリジナルの人口は、
10分の1以下になった。さらに1876年には、タスマニア・
アボリジナル最後の生存者である女性のトルガニニが死亡
して、多い時期で約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・
アボリジニが絶滅した。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/アボリジニ

46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:05:11.67 ID:GwG63eTgO
少年十字軍
少年「神のために戦える!」
大人「はい君たちはあっちいってね」
変態「いらっしゃい」

48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/12(月) 23:10:16.85 ID:B9Q9+qVP0
>>46
何それ

100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2013/08/13(火) 00:06:22.48 ID:6iBWOZmQ0
>>48
少年兵を集めた兵団を作ったんだけど
いくつかあった船の多くは難破
無事だった船も聖地奪還どころかゲス商人によって
全然違うところへ連れてかれて、
奴隷として売り飛ばされてごっそり消息不明になった
c0072801_16351523.jpg
少年十字軍
第4回十字軍の後、フランスやドイツにおいて神の啓示を
受けたとする少年エティエンヌの呼びかけにより
少年・少女が中心となって結成された十字軍。

1212年のフランスの少年十字軍では、
少年少女が十字軍として聖地奪還に向かう途中、
船を斡旋した商人の陰謀によりアレクサンドリアで
奴隷として売り飛ばされた。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/少年十字軍

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4515662.html

by huttonde | 2013-08-15 02:40 | 国外くっくり | Comments(0)
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