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2014年04月26日
北米初、ニューヨークで猫カフェが期間限定でオープン。 人懐っこい猫16匹にニューヨーカーもメロメロに のたった4日間ながら、北米発となる猫カフェがオープンした。 これはペットフード「ピュリナワン(Purina One)」と 動物保護団体「ノースショアアニマルリーグ」の共同企画で、 初日から猫好きなニューヨーカーたちが大勢押し寄せたという。 カフェにいる猫たちは全て里親を募集しており、 初日から4匹も引き取り手が決まったそうだ。 動画 Cat Cafe http://vimeo.com/92761967 New York Cat Cafe - YouTube 猫カフェの前には長蛇の列 中の様子は外から見えるようになっている。清潔感を出す ため、店内はブルーの配色が施されており、猫の絵の ラテアートが施されたカプチーノならぬキャットチーノや、 クッキー、菓子パンなどが無料で提供された。 散歩にいけば情報交換など交流ができるが、猫の飼い主には それができない。猫の飼い主同士も猫に囲まれて猫について 話し合える場があってもよいと思いこの企画を設けた」と話す。 してお客さんを楽しませてくれた。またガラス越しから 通行人たちも楽しませてくれた。養子縁組がたくさん 決まったので、更に猫が増員されるという。 世界初の猫カフェとされその後日本を含むアジア、ヨーロッパ、 そして世界へと広まっていった。ネット上でも猫は大変人気が 高い。アメリカでは飲食店における動物の取り扱いは日本より 厳しく、保健福祉省の審査基準をクリアしなければならないが、 今後はカリフォルニア州やオレゴン州などでも猫カフェの オープンが予定されているという。 ▼あわせて読みたい 人懐っこい猫が撫でて撫でてと寄ってくる、 ハワイ猫の楽園「ラナイ島 ハワイアンライオン」 世界10の猫マニアと猫好きを魅了する場所 猫に人間のぬくもりを。保護施設にいる猫に子どもたちが 本を読み聞かせるプログラム「ブックバディー」 素晴らしいキャリアを持つ世界10匹の猫 小動物から爬虫類、タランチュラまで。 ベトナムで人気の異種混合ペットカフェ(閲覧注意) http://karapaia.livedoor.biz/archives/52161009.html 2014年04月26日 サバイバーズ:あらゆる困難を乗り越え生きのびた 奇跡の生存者たち25人 ションでありながらも助かるものと助からないものもいる。 その鍵を握るのは運だけでなく、本人が生きることを 諦めない命に対する執着心も関係しているのでは ないだろうか? ここに上げる25人は、想像を絶する困難に巻き込まれ ながらも、奇跡的に生をつなぎとめることができた 生存者たちである。 25.ジュリアン・カプケット 墜落したペルー航空508便の唯一の生存者は当時17歳の少女 だった。彼女はシートに着席したまま落下したが、アマゾン の密林の樹木がクッションとなって目の負傷と鎖骨を折る だけで助かった。近くを流れる小川を辿って9日間歩き 続けたのち、きこりに救助された。 24.ナンド・パラードと乗組員 アンデス山中で墜落し、生き残った者は生存のために死者の 肉を食べざるを得なかった。生存者の一人、ナンド・パラード は、自分達を氷河に閉じ込めている5000m超の山を越える ことを考えつき、皆で10日間歩き続けてついに救助された。 生き延びる為、人は苦渋の選択をした。 アンデス山脈飛行機遭難事故の奇跡の生還者 23.スティーブン・キャラハン 出た後、スティーブンの船は大西洋の真ん中で沈んでしまい、 救命いかだに乗って76日間漂流した。偶然、バハマの島に 辿りついて救出された。 22.ジョン・コルター 知られるブラックフット・インディアンに捕獲された。 裸にさせられて「逃げろ」と言われた時、自分が「人間狩り」 の獲物にされていることを明確に悟った。彼はうまく逃げ、 追跡者を数名殺して、300km以上離れたフォート・ レイモンドまで無事にたどり着いた。 21.アーネスト・シャクルトンの探検隊 した時、彼の船は流氷に閉じ込められ、助けを求めることも できずに22か月も漂流した。最初の年は船の中に居たが、 流氷が船を破壊したので、彼らは流氷の上に上がった。 そしてついにアーネストは救命筏に乗って、1200km以上 離れた、捕鯨基地のある南ジョージア諸島に向かうことに したのだ。 南極大陸の初横断を目指し失敗した、 帝国南極横断探検隊の記録写真 それでも人は前に進む、新たなる希望を目指して。 およそ100年前に撮影された南極大陸探検カラー写真 20.アーロン・ラルストン 右手を挟まれて、生き延びるためにその右手を切り落とさな ければいけなかったいう話だ。ユタ州でハイキングをして いた時、岩が動いて、壁との間に右腕が挟まれてしまったのだ。 アーロン・ラルストン 奇跡の6日間 小学館(2005-05) 19.ピエール・ビュー に座礁したフランスの商船に乗っていた。フロリダの湖沼の 中で必死になって食糧と住処を探した。彼は自分の奴隷が 飢えないようにと奴隷を殺したりもした。しかしついに 彼は助かった。 18.デビー・キリー 州からフロリダに向った。途中高波に遭って船が壊れて しまい、救命筏に乗ってサメがうようよいる海を漂流する ことになった。一人は泳いで行ってしまい、二度と帰って こなかった。もう1人は筏の真下に居たサメに食われて しまった。デボラともう1人だけが助かった。 17.グレムリンの搭乗員 ネームがついた米軍の飛行機がオランダ領ニューギニアに 墜落した。搭乗員のうち3名だけが生き残ったが、墜落箇所 は人食い人種で有名な部族の住む山だった。だが彼らに とってラッキーだったのは、その部族は敵を討ち取って 食べることはあっても、敵以外は食べないということで あった。おかげで3人とも生還できた。 16.捕鯨船「エセックス」の乗組員 21人の乗組員は救命ボートで漂流した。生きるために死んだ 仲間の死体を食べ、自分の尿を飲みながら、あまり資源の ない無人島に漂着した。彼らはそこでバラバラになり、 何人かは海に戻った。結果的に8人だけが生き残った。 15.ジャン・バールズレッド ナチス占領下のノルウェイに到着した。彼らの目的は、 レジスタンスを助けることであった。任務は失敗に終わり、 ジャンは追われ、銃創を負いながらほとんど何も着る服も ない状態でノルウェーのツンドラへ逃げた。偶然、北極圏に あるフレンドリーな村にたどり着き、そこから英国に 無事に戻れた。 14.アビー・サンダーランド インド洋のど真ん中、陸地から3000km以上離れた場所で、 40フィート級の彼女の艇のマストが折れた。緊急信号を 発信したあと2日後に漁師に助けられた。 13.ヒュー・グラス おったヒュー。猟のリーダーは仲間数名に、ヒューが死ぬ まで付き添い、死んだあと埋めるようにと言い残し去って 行った。しかし彼らはヒューが死ぬまで待たず、ヒューが 死んだということにしてその場を立ち去ってしまった。 ヒューは意識を取り戻した後、ミズーリ川まで這って行き、 筏に乗ってフォート・ノックスに向かった。途中で原住民 たちが、ヒューの化膿した傷の上に熊の皮膚を縫い付けて 助けてくれた。 12.ベック・ウェザース 登山を書きつづった「空へ!」には、ベック・ウェザースが デス・ゾーン(エベレストの肩:サウスコルに当たる標高 7900m以上の場所を差す。1泊以上すると危険と言われる) で、意識を失っていたのにもかかわらず生還したことが 続かれている。18時間を氷点下で過ごしたあと、意識が回復 し、必死にサウスコルのキャンプに戻った。顔と手は酷い 凍傷にやられ、両手を凍傷により失っている。 空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか (文春文庫)文藝春秋(2000-12) 11.アメリカの開拓者チーム カリフォルニアに向かって進んでいたが不幸が重なり、 1846年の冬をシエラネバダの山の中で過ごさざるを 得なかった。87名中、生き残ったのは48名で、 中には生き延びるために人肉を食べたメンバーも居た。 10.デビッド・スティーブス中尉 はずのスティブス中尉は目的地に到着しなかった。捜索が 開始されたが何も見つからず、彼は死亡宣告を出された。 2週間後、シエラネバダの山から歩いて降りてきた。 飛行機に何かがぶつかり、脱出したそうだ。 9.気球の事故 カナダの原生林の上に墜落した。ハドソン湾の交流所に 着くまで1週間歩き続けた。 8.ヨッシー・ギンズバーグ 迷子になった。4人は2人ずつに別れたが、2人は二度と会う ことはなかった。ヨッシーと友人は筏を作り、川を下ったが、 瀬の早いところでバラバラになってしまった。 友人は助けられ、ヨッシーはそれよりさらに19日後に 川から水を引こうとしているところを発見された。 7.小野田寛郎 解除の命令が届かず、戦争がずっと続いていると信じ ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、終戦後29年目に してフィリピン・ルバング島から帰還を果たす。 今年1月16日、肺炎により亡くなった。91歳だった。 6.ジェームズ・ライリー艦長 その乗組員は北アフリカの海岸で座礁した。彼らは捕えられ、 奴隷として売られ、サハラ砂漠を横断するという狂気の沙汰 になるところであった。偶然、英国人の商人と会い、 同情した彼によって釈放された。 5.ルイス&クラークの遠征 遠征隊は盗賊に遭い、傷を負い、何度か餓死しにかけた。 通訳サカジャウィーの出身村の原住民の親切な手助けが なければ、間違いなく死んでただろう。 4.ロバートソン家族 群れがロバートソン一家の船にぶつかり、破壊した。両親、 3人の子供、そして友人1名はそれから36日の間漂流し、 日本のトロール船に助けられた。 3.ジョン・マケイン ジョン・マケイン中尉は敵に捕えらた。解放されるまでの 5年近くの間、繰り返し拷問にあった。彼は早めに解放する という敵の申し出をきっぱり断わり、彼のあとに来た捕虜 全員が解放されるまでは自分は解放には応じないと断言した 豪傑である。 2.スティーブ・フォセット スティーブは、紅海上で嵐に遭い、上昇することでやり 過ごそうとしたが失敗。高度約9000m雹が気球に当たって 気球が裂け、彼の乗っていた客室部分は海に向かって落下 した。奇跡的に彼は命をとりとめ、10時間後に救出された。 1.スラヴォミール・ラウィッツ なっていたポーランド人将校は、他の6人とともにヤクーツク のキャンプを脱走し、シベリアの凍ったツンドラを6400km を歩いてゴビ砂漠に到達し、チベットを通り、ヒマラヤを 超えてついに英国領インドに到達した。 via:list25・原文翻訳:LK ▼あわせて読みたい 奇跡の生還:すべての乗客が生存していた9の飛行機墜落事故 かつての鳴神島、日本軍が攻略したアラスカ 「キスカ島」の今と昔 奇跡の全員生還。米国の小型飛行機の空中衝突事故、 乗客は全員ベテランのスカイダイバーだった(アメリカ) まさかのコールドスリープ?雪中の車に2ヶ月間 閉じ込められた男性が「冬眠」状態で生存していた (スウェーデン) http://karapaia.livedoor.biz/archives/52161012.html
by huttonde
| 2014-04-28 06:11
| 国外くっくり
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