冷飯は体も冷える
by huttonde
カテゴリ
地球壁紙画像
今日の富士
富士山カメラ
色々富士

ハン板電突まとめ
mumurブルログ
万毛号止掲示板
マーキング
香ばしい掲示板
楽韓Web
厳選韓国情報
極東情報網録
ぼやきくっくり
アジアの真実
木村幽囚記
dreamtale日記
日本人よ誇りをもて
日本再生倶楽部
兵頭二十八
ヒロさん日記
宮崎正弘
アンチキムチ団 匿名党
大阪在住
山岡俊介
なめ猫♪
東亜マンセー協会
酔夢ing Voice
桜井よしこ
Red Fox
ざんぶろんぞの怪人日記
朝鮮歴史館
陳さんのWorld view
特定アジアニュース
U-1NEWS
2ちゃん的韓国ニュース
丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2
何でもありんす
東京エスノ
保守速報
モナニュース
もえるあじあ(・∀・)

まとめサイト
海外の反応ARCHIVE
ショボンあんてな(`・ω・´)
ヌルポあんてな

余命
余命三年ミラー
余命官邸メール
日下公人
高山正之 
武田邦彦
宮脇淳子

AshCat
パクリ大国南鮮
K国の方式
半島大陸メモ
檀君 WHO's WHO
韓国のHPを日本語
ビラのHP
たまねぎ屋HP
もう黙ってはいられない
新聞宅配問題

mynippon
ch桜 ニコ動
ch桜 youtube
ミコスマ保管所
国際派日本人
大紀元
日本戦略
憂国資料
アジア歴史資料
国立公文書館
アジアメディア
論談
民間防衛
国民が知らない反日

・     
・ 
・ 
・ 

赤塚
水木
杉浦
漫画家志願
鬼太郎人魚売
タコラ
ニコ動落語

東京情報
群馬弁
何日
こよみページ(旧暦)
東京浴場組合
銭湯・温泉・サウナ
大島てる

radiko
三枚 ニコ動
煮込みおせち5
煮込みおせち4
煮込みおせち3
煮込みおせち2
煮込みおせち
煮込みおせち 音楽5
煮込みおせち 音楽4
煮込みおせち 音楽3
煮込みおせち 音楽2
煮込みおせち 音楽
まじめちゃん4
まじめちゃん3
まじめちゃん2
まじめちゃん
フュージョン・スムースジャズ
スムースジャズ中心
BEST JAZZ TIME
【ながしの】Smooth Jazz
【自己満足】


free counters
検索
お気に入りブログ
最新のコメント
そうでしたね。俺の地元前..
by huttonde at 16:02
 前方後方墳というのは実..
by 通りすがり at 11:14
バカバカしさここに極まれ..
by 少しは考えろ at 14:05
この様な書込大変失礼なが..
by aki at 22:56
ジャニーズでこうなのなら..
by 通りすがり at 10:52
小生も積読の傾向があり1..
by motsu2022 at 05:35
Stupid  
by motsu2022 at 08:06
中国のミサイルが初めて日..
by aki at 03:11
いつもの社交辞令です。 ..
by huttonde at 15:17
少し前のコメントで、ピカ..
by ポポポ大王 at 08:41
by huttonde at 01:53
結局飲みに行ったの?
by ポポポ大王 at 00:55
???
by huttonde at 15:43
突然のメッセージにて失礼..
by 外岡誠 at 11:36
>子供が学校でこの記事の..
by huttonde at 21:57
> 名無しさん 外見を..
by huttonde at 11:56
先日、菅原経産相が香典問..
by 山尾議員の香典問題の謝罪まだ? at 15:42
こんちは。俺はもう関わり..
by huttonde at 01:27
こんにちは。 以前から..
by 味噌くん at 12:30
9条の会、国際交流の会豊..
by 匿名 at 23:21
最新のトラックバック
タグ
ライフログ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
時代劇 14
・・・・
暗く厳寒の冬を越えて陽光が差し始めた頃、
「そろそろいいんじゃねえか」
と、三左衛門が答えた。
山々は相変わらずの雪景色だが、
路上はだいぶ土が顔を出している。
「江戸に出て三野村の旦那に話をつけて、
いざってときは少し工面してもらおうや」
三左衛門によると、以前に小栗の中間として奉公していた
三野村利左衛門という者が、今は豪商三井越後屋の
大番頭として江戸に屋敷を構えているという。
「その方は読み書きが出来ねえってんだが、物覚えも
算術も機転もばっちりだそうでな、商才の片鱗は
中間当時からあったらしく、殿が三井に紹介したんだと」
三野村が時々小栗の邸宅へ訪れていたことは次郎太も
知っていた。
応対した次郎太にも腰の低い、いつも笑顔で落ち着いた
口調の温厚な調子で、商人でもあるが学者、文人のような
雰囲気も感じていた。頻繁にお辞儀をする三野村に、
次郎太もついペコペコと調子を合わせていた。
その三野村が供の者に千両箱を持たせて、小栗達が
権田村へ向かう直前に邸へ訪ねて来て、米国への亡命を
持ちかけたことがあったと塚本から聞いていた。
しかし小栗はこれを断り、
「もし婦女子が困ることがあったらよろしく頼む」
と答えたという。

夫人一行は会津から江戸に向かうと、昨年七月より
江戸は東京府、元号は慶応から明治二年と
改められたことを知った。
三月下旬には江戸城は天皇の住まう皇居となり、薩長ら
西軍は明治新政府として江戸の統治機構を改編していた。

夫人は、生家である神田明神下の建部家へ立ち寄るが、
新政府の目を恐れて受け入れてもらうことが出来ず、
近所でもある小栗と暮らした自邸、駿河台の屋敷は、
土佐藩士・土方楠左衛門久元の所有となっていた。
既に世間は西軍が徳川幕府に取って代わっている。
当然とはいえ暗澹とした気持ちでその場を立ち去った。

一行は三野村の邸宅を訪ねると、夫人や母堂、
三左衛門が奥の間でこれまでの経緯を話し、
次郎太らは別室で待った。
いかにも豪商の屋敷で、整った庭園も通された部屋も
亡き小栗の江戸屋敷を思わせた。
「こういう部屋もひさしぶりだよなあ」
房太郎がつぶやいた。
「これで御役御免になるのかな」
兼吉が答えた。
次郎太は開け放たれた室内から庭を眺めた。

三左衛門達が部屋から出てきた。
「奥方様方には、新たに徳川家の御領地となった
駿府までお送りすることになったよ」
慶喜は謹慎となって駿府へ隠居していた。
徳川宗家を継いだ徳川家達は、明治新政府により
駿府七十万石を領地として与えられ、旗本日下家へ
婿に入った忠順の母邦子の弟(忠順の叔父)日下数馬や、
その息子寿之助、小栗又一(忠道)の実家、
旗本駒井甲斐守朝温(ともあつ)の駒井家、
道子夫人の妹はつが嫁ぐ蜷川家が神田から
移り住んでいた。
三野村の協力で路銀を手にした一行は駿府へ向かった。

一行が駿府に入って駒井家を訪ねると、三左衛門は
小栗の遺児国子が結婚するまで忠道の実弟・
忠祥(たださち)に小栗家を相続してもらい、
家名断絶だけは避けたいと懇願した。
養子として迎えた忠道が又一となり、小栗家を継ぐはずが、
西軍により高崎の牢屋敷で家臣三名と斬首されている。
改めて詳しく経緯を知った駒井家は三左衛門の要請を
受け入れ、小栗家は断絶を免れた。
また、日下数馬の娘で、六歳で小栗家の養女、
又一の許婚となっていた鉞子(よきこ)は、
実家の日下家に戻ることになった。

結局、窮乏する駿府では夫人達の受け入れは困難として、
一行は再び東京に戻り、三野村家を訪ねた。
「やっと恩返しが出来ます」
三野村は笑顔で快諾した。
母堂邦子と道子夫人、娘国子は、東京深川の三野村の
別邸で暮らすことになり、明治十年(1877)三野村が
五十七歳で亡くなった後も三野村家が世話を続けた。
しかし、八年後の明治十八年(1885)には、
道子夫人も四十八歳の若さでこの世を去った。
十八歳になっていた遺児国子を知った大隈重信夫妻は、
妻の綾子が旗本の三枝(さえぐさ)家の生まれで
小栗忠順の父、忠高の姪であり、早くに両親を失って
兄の守富と共に育てられていた。その恩もあって、
国子が成人するまで保護することにした。
やがて国子が二十歳になると、前島密の媒酌で
矢野貞雄〈作家龍渓の弟〉が婿となり、
小栗家十四代当主を継いだ。

母堂、夫人、国子と鉞子はそれぞれ
落ち着くことになった。
残ったのは中島三左衛門、三左衛門の娘さい、
房太郎、兼吉、次郎太らである。
しばらく辺りを見回し、遠く広がる空を見上げた。
「さ、権田村帰ろう」
三左衛門が遠くを見ながら言うと、
「ようやく御役御免だな」
房太郎が伸びをした。
「いや、まだだ」
次郎太がつぶやいた。
「そうですよね、頭(かしら)」
次郎太が三左衛門に声をかけ、
「・・・・うん、忘れちゃなんねえな」
三左衛門も納得している。
「だが、とりあえず村へ戻ろう。
東善寺の住職やら村の連中に
その後を聞いて、どうするか考えんべえ」
「おい、まだって何だよ」
房太郎が次郎太に聞くと、
次郎太はギロリとした目で顔を近づけ、
「殿を忘れたか」
「・・・・あ、そうか・・・・」
房太郎も気づいた。
小栗親子の首級が東山道軍に持ち去られたことは
知っていた。首実検の後にどうなったかまでは
不明である。戻っていればいいが、
そうでなければなんとか取り戻す方策を
考えねばならない。
「こりゃまた難問だな・・・・」
兼吉がぼやいた。
かつて小栗が三左衛門に冗談まじりに、
「自分もいつか、井伊大老のように殺されるかもしれない
が、死んでも首と胴体は一緒にいたいものだな」
と笑って語ったことがあった。

三左衛門らは急ぎ権田村へ戻ると、村民代表として
高崎藩へ出向いて行方を尋ねた。
昨年慶応四年(1868)閏四月六日〈五月二十七日〉朝、
小栗と家臣三名は権田村近くの烏川の水沼河原で斬首され、
その日しばらく晒された後、小栗の首級は高崎城に送られ、
翌日も同じく高崎城内で家臣三名と又一が斬首されると、
小栗父子の首級は、館林に来ていた東山道軍総督府へ
届けられ、九日には館林城内で東山道軍総督の岩倉具定が
首実検を行い、近隣の泰安寺に下げ渡されたという。

三左衛門、房太郎、兼吉、次郎太の四人は館林へ向かい、
次郎太の案内で旧知行地である高橋村の名主・人見宗兵衛に
会うと協力を頼み、人見もまた快諾して叔父の細内(館林)
の渡辺忠七を伴い、皆揃って共に泰安寺へ出向いて、
「殿の一周忌が近いので(権田村に)墓を建てたい」
という名目で墓の場所を尋ねた。

しかしそこは、出羽山形藩から藩主となった秋元家の
位牌寺で墓地を持たないため、困った住職は親しく
していた法輪寺奥田明山(みょうざん)住職に頼んで、
同寺の本堂西の墓地に埋めてもらったという。
さっそく法輪寺を尋ねて同様の理由で墓の場所を知ると、
とりあえず簡単な法要を済ませ、
近くの旅籠に泊まることにした。
寺へ渡されたとはいえ、西軍による措置であるから、
首級を持ち出したとなれば、
どんな咎めを受けるかわからない。
「さて、どうしたものやら・・・・」
六畳間に車座になって男六人、
三左衛門は腕組みして黙り込んだ。
「なにも考え込むこともねえでしょ」
次郎太は素っ気なくつぶやいた。
「天下の大泥棒が殿の御首まで持ってっちまって、
それで手出しならねえって、そんな馬鹿なことぁねえ。
渡してもらえねえなら取り返すまでだで」
「掘り返すってことかね」
人見が心配そうに尋ねた。
「うまくいけば寺は気づかずそのまま、俺らもひっそり
しっかりお弔いが出来るってもんでしょ」
「盗掘ってか・・・・」
三左衛門はうつむいたまま考えている。
「御首が戻ればそれでいい。答えは簡単でねえですか」
「簡単に言うなよ。見つかったら俺らまで同じ目に
遭いかねねえ。まあそれはいいとしてもだ、その後
そのままでは努力の甲斐がねえ」
「あきらめますか」
「馬鹿言うな、ここまで来ちゃ手ぶらで帰れねえ」
「じゃあやりますか」
次郎太の口は笑みを含んで、おちょくるようでもある。
「この野郎、役人に泥棒やらせようってか・・・・・」
三左衛門は渋い顔で考えあぐねている。
人見が意を決したように、
「中島さん、やりましょう、いざ捕まったってかまわねえ、
西軍は人道も士道もねえのかって、ぶちまければいい。
この中の誰かが村へ持ち帰って隠せば・・・・
隠し場所なんぞいくらもあるでしょう」
人見もまた表情は明るかった。
結果、三左衛門らは実行を決め、計画を立てた。

・・・・
深夜、法輪寺へ行くと、見張りと墓掘り役に分かれて、
目当ての墓堀りを実行した。
深夜故に辺りは真っ暗であり、
首級を痛めるわけにもいかず、
僅かな灯りを用意して慎重に掘っていたが、
音と灯りに気づいたのか、住職らしき者に境内で
目撃され、皆一目散に逃げ出した。

朝。三左衛門らは部屋に戻っていた。
誰も無表情だった。
「・・・・このままじゃ帰れねえ。だが、
今夜は警戒してるだろう。
日を置いて行くしかねえだろうな」
三左衛門は苦々しくつぶやいた。
房太郎が横になったまま弱々しく、
「二度目が利くかなあ」
と天井を見上げた。

昼に三左衛門ら一行は、
それとなく近くへ様子を見に行った。
遠く見える目当ての墓周辺では、
数人の男が柵を立てているようだった。
「こりゃダメかな・・・・」
三左衛門は苦虫を噛み潰したような顔で
その場を離れた。

言いだしっぺは次郎太である。
房太郎も兼吉も、同意したのも忘れたように、
「だから無理なんかするもんじゃねえんだよ」
と舌打ちした。
次郎太は返す言葉がない。

「なんとしても取り返さねばなんねえ」
三左衛門は自分に言い聞かすようにつぶやいた。
忠七が口を開いた。
「この際、寺の住職に訳を話して渡してもらうのは
どうだろうかね」
人見は疑念が晴れない。
「それが出来れば苦労あるまい。
住職が協力したとありゃ住職もまた同罪だろう」
「うん、だから、あくまでも住職には内緒で渡して
もらって、いざとなったら『盗まれたー』
ってことにしてもらうわけさ。
住職も被害を受けた側ってこって」
「・・・・うむ」
腕組みをして考えていた三左衛門は、
「会ってみるか・・・・」

夕刻、一行は寺に出向き、意向を説明して訴えた。
難色を示していた住職も、三左衛門らの必死さに
何やら感じるものがあったのか、訴えを認めた。
「されども、我が寺もまた新政府の要請を受けての
供養であるから、さあどうぞというわけにはまいらぬ。
あくまでもこちらは知らぬこととしたい」
要は、密かに持って行け、というわけだった。
三左衛門らは喜んだ。が、住職は、
「既に盗掘があったと役人の耳にも入ってしまって
おるでな、柵を立てたことを理由に、私からも役人には
警備を緩めるようそれとなく促すが、
手際よく頼みますぞ」
三左衛門らは住職もまじえての相談となり、
後日深夜に実行した。

首級は無事掘り当てられた。
白骨化したそれは小栗と又一の首級である。
「殿・・・・・・」
泣きたい気持ちを押し殺し、二人の首級を
用意していた櫃にそれぞれ入れると、
皆で埋め戻して墓を離れた。

三左衛門らは権田村へ戻ると、ごく数人の村人に
供養させ、東善寺裏山の胴体を埋めた墓に葬った。
又一の首は、胴体を引き取った小栗家旧領地の
下斉田村〈高崎市〉の名主・田口十七蔵を呼んで渡し、
下斉田村の墓地の胴体に合わせて葬ってもらった。
その後も、明治政府の監督下にあるものを盗んだとして、
「お首級(くび)迎え」とあくまでも限られた者達に
内密に言い伝え供養した。



・・・・
東善寺に集まった三左衛門、房太郎、兼吉、次郎太は
住職に報告すると、裏の墓で一同改めて弔いをした。
寺を出ると、
「今度こそ御役御免だな」
三左衛門が笑顔で答えた。
「俺はまた百姓に戻るか」
房太郎がつぶやくと兼吉は、
「俺は店を手伝うことになるな・・・・次郎太はどうすんだ、
もう殿はいねえし、今まで通りにはいかねえし」
「・・・・俺はまた江戸・・・・じゃねえ、東京だっけ、
東京で職人でもやってみるよ」
「職人・・・・ああ、根付ってやつか。儲かんのか」
「どうかな・・・・儲かるって商売でもなさそうだが、
なんとかやってくしかねえから・・・・頭もどうすんですか。
役人たって、何ヶ月も留守にしたし」
「うん、説明が面倒だが、ここら一帯は前橋藩に
なったそうだから、出向いてみようと思う。
前橋なら根っから西軍てわけでもねえし、
大丈夫と思うんだがなあ」

三左衛門はそれぞれ別れることを伝えた。
同郷とはいえない次郎太に気遣ったのか、
次郎太に声をかけた。
「次郎太、これまでのこと、ほんとに恩に着るよ。
おめえのおかげで何度も助けられた。口で言っても
安っぽいが、ほんとに感謝だ」
三左衛門は次郎太の手を握ると頭を下げた。
目には涙が滲んでいるようだった。
「・・・・頭がいたから随分頼りました。
俺も迷惑かけたけどこれまでほんとに、
お疲れ様でございました」
次郎太もまた頭を下げた。
房太郎、兼吉も、
「お疲れ」
と言葉も少なく次郎太に握手を求めた。
房太郎は泣きそうな顔を堪えているようだった。
それぞれ握手をすると次郎太はその場を離れた。
「じゃあ、みんな御達者で」

そこへ三左衛門が、
「あ、ちょっと待った」
と声をかけた。
「これから東京か、銭かかるだろ、
まだ少しある、持ってけ」
袂から一分金を出した。
次郎太は笑って、
「いや、大丈夫です。俺も少しあるから」
次郎太も一分金を見せた。
兼吉が、
「あー、この野郎、隠し持ってたのかよ」
と声を荒げるが、
「人聞きの悪いこと言うない、
ちびっとくれえ自分の銭はあらあな。
無けりゃ無いなりになんとかするけどさ」
次郎太は笑顔で別れた。

と、
「ジロさん!」
後ろから声がした。
次郎太が振り返ると、さいが走って来た。
「あ、おさい・・・・ちゃん」
さいが次郎太にゆっくり寄って来て、
「ちょっと〜、あたしには挨拶無しなの?」
大きく息をつくと、不満そうな表情を見せた。
「あ〜、すんません・・・・別れがつらいので・・・・」
「ふん、よく言うよ・・・・どうすんの、東京行くの?」
「うん・・・・」
「そう・・・・もう会えないのかな・・・・」
「いやぁ、そんなことないよ、いつでも戻れるし」
「そうだね・・・・」
「おさい、ちゃん、は、ここで暮らすの?」
さいは失笑して、
「相変わらずぎこちないなあ。
うん、おとうちゃんの世話するよ」
「ああ、そうだね・・・・」
さいはうつむいて二人に間が空いたが、
さいは笑顔を見せると、
「じゃあ、元気でね、ジロにいちゃん」
さいが手を出した。
「え・・・・うん」
次郎太も手を出し、握手をした。
さいの手は小さかった。
軽く手を振り見送るさいに、
次郎太は軽く会釈してその場を立ち去った。

・・・・
三左衛門は役人としての役目を続けるべく、
藩に“途中まで”の経緯を知らせた。
場合によっては捕らわれの身になり得たが、そのときは
藩に対して言いたいことを言って死んでやろうと
腹をくくった。
「もうなんも後悔はねえさ」
幸い、この後に、この知らせが藩主の耳に入ったことに
より、三左衛門は村に戻った後に再び藩に呼び出され、
藩主から「武士も及ばぬ振る舞い」と讃えられ、
名を「誉田」と改めるよう言われて誉田三平次と
改名したという。

・・・・
次郎太が向かったのは大胡の大前田英五郎の家だった。
三左衛門同様、詳細は話せないが、五十両もの大金を
預かった恩もあり、これまでのことを知らせる必要を
感じていた。
英五郎は既に高齢だったが、去年とそう変わるでもなく、
笑顔のせいか好々爺(こうこうや)の雰囲気だった。
「そうかい、御一行は無事かい」
英五郎は目を細めて煙管をふかした。
「西軍はついに東北へ攻め入って、会津は負けた。
とばっちりだな。徳川方は賊軍になっちまった。
まさに勝てば官軍だ。関ヶ原以来のひっくりけえしだな。
蝦夷地ではまだ戦が続いているようだが、もう終わりだ
・・・・ま、官軍といえども無茶は出来ねえはずだ。
幕府と同じで、開国で西洋化するんだろうよ」
英五郎も情勢に思うところがあるのか、しばらく世間話に
なったが、気づいたように次郎太の今後を聞いてきた。
「へぇ、手前は以前から興味があった根付の職人になって
みたいと思ってまして、これから東京へ行って修行でも
しようかと考えております」
「そうか、職人か。いいな。それがいい」
英五郎は頷いた。
「ところで、先日頂いた五十両なんですが、野州にいた
幕府の陸軍部隊に進呈しまして・・・・」
「五十両・・・・知らねえなぁ」
意外な返しに次郎太は戸惑った。
「幕府なんてもうねえだろう・・・・あぁ、
今は薩長が幕府だっけか」
英五郎は笑った。
幕府と関わり協力したとされるのを警戒したのか、
餞別に未練は無いということか、あるいは惚けたのか、
(・・・・負けた博打に用はない、か・・・・)
次郎太にははっきりと判断がつかなかった。
「職人なら一生かけてやるもんだな。博打より身になる。
いい了見だ。しぶとくやんな」
英五郎は一分金を次郎太に渡した。
「俺はケチだで、大金はやらねえが、
片道に役に立つだろ、持ってけ」
「・・・・俺は遠慮しませんよ」
「あぁ、いいよ、持ってけ」
次郎太はふと、
(・・・・ことによったら、俺は大前田一家の子分に
なっていたかもしんねえな・・・・)
などと思った。

英五郎はこの五年後、明治七年(1874)二月に
八十一歳で亡くなった。
当時の博徒には珍しい大往生だった。

・・・・
次郎太は大胡から西に戻り、前橋から南へ下ろうと
田畑の広がる一本道を歩いていた。
目の前に待ち構えていたのは、見覚えのある若い男
二人と、更に若い、少年に見える男の三人だった。
「おい、次郎太、しばらくだなあ、捜したぞ」
真ん中の男は約十年前に、次郎太が道場で待ち伏せし、
木刀で殴りつけた一人だった。
「おめえに木刀でやられた近江だ。覚えてるか、
近江広之進だ。おめえのお陰で藩士の俸禄は
召し上げになっちまった。
道場と藩の名誉を汚したってな」
「・・・・」
次郎太は殴りつけた当時を思い出し、踵を返した。
「逃げるか」
広之進が怒鳴った。
「あと二人を覚えてるか。二人は死んだぞ。
おめえのせいだ」
広之進は憎しみで一杯の口ぶりである。
広之進の右に控えていた男も見覚えがあった。
「拙者は須藤与助、亡き兄左衛門の仇、
いざ尋常に勝負せよ」
そう叫んだ与助は次郎太と同い年で、
先に道場の門弟となっていた。
与助の兄もまた藩士だった。
「同門、佐々木健五、亡き兄健之助の仇、覚悟しろ」
(健五・・・・知らねえ)
次に叫んだ健五を次郎太は知らない。年の離れた弟で、
入門も次郎太がいなくなった後なのだろう。
広之進は笑顔で、
「次郎太、やっと会えて嬉しいぞ。おめえが城下の賭場に
隠れてたのを聞いてな、後を追ったがもういなかった。
去年の今頃、ようやく前橋付近で姿を見たって博徒達に
聞いたが、それもまた見失っちまった。
その後もわからなくて難儀したが、
その不細工なツラのおかげで、
博徒連中から知らせてもらってな」
次郎太は文之助と英五郎の二人を思い出すが、すぐに
英五郎の自宅から誰かが走り出て行くのを思い出した。
(・・・・英五郎親分が知らせたのか・・・・まさか・・・・
銭であちこちの下っ端どもに頼んだのか・・・・)
次郎太はボソッと、
「博徒なんて当てにしたのか。情けねえ奴だ」
「おめえほどじゃねえよ。方々捜して大変だったよ。
だが、これでお仕舞いだ。おめえを討ち取って俺は
藩士に戻る、この二人も念願の仇討ちが出来る。
助太刀が欲しけりゃ連れて来い。時と場所を決めて
改めて勝負としよう」
広之進と与助の剣は、稽古の甲斐あってか、
素人とは違うことは次郎太も知っている。
健五という若者も、道場で稽古を重ねてきて相応の
段階に達しているかもしれない。
助太刀といっても、その辺の者に頼めるものでもなく、
長らく苦楽を共にしたとはいえ、房太郎や兼吉に
頼むわけにもいかない。三左衛門も同様である。
(・・・・助太刀はいない)
「どうした、怖気づいて頭が真っ白か」
広之進は愉快そうに笑った。
次郎太は無表情に、
「ここでいい」
ボソッと答えた。
広之進は意外そうな表情を示したが、
「そうか、覚悟を決めたか。潔いいな。ならばここが
おまえの見納めの場だ。念仏でも唱えておけ」
広之進も与助も健五も手早くたすき掛けにし、
鉢巻をすると抜刀した。

・・・・
男三人が並べば通れない細いあぜ道で、
次郎太は辺りを見廻した。
左右共に豊かな麦畑が広がり、
右側の一角には桑畑が見える。
特に珍しくもない、ありがちで平穏な景色である。
「次郎太、抜けや」
広之進が前へ出て、三人揃って刀を構えた。
次郎太は困った風な様子で、辺りを見廻している。
「どうした、怖気づいてどうにもならぬか」
と、広之進が怒鳴るが早いか、
次郎太は踵を返して走り出した。
「逃げるか」
三人も追った。
次郎太の思い切った走りはなかなかの早さだったものの、
三人の脚力もまた引けを取らない。たいして差がつくことも
なく、次郎太は後ろを見るもかまわず走り、左側へ向かう
あぜ道に走って行き、桑畑に勢いよく入り込んだ。
広之進が次郎太の後ろへ続き、与助と健五が左右の
畝(うね)に走った。
春のこの時期この辺の桑は、まだ株から伸びた枝に
いくらかの葉が茂り始めたところだったが、
その高さは次郎太の胸ほどあり、人が横切るには
邪魔な、隙を与えない並びになっていた。
次郎太は息も荒く桑畑の真ん中で抜刀して止まると、
広之進に向きを変え構えた。
広之進も大きな息を吐いて、
「ようやく覚悟したか」
と、口元を緩めた。
次郎太の左右前方にも、
桑越しに与助と健五が構えている。
広之進は次郎太を見据えたまま、
「仇討ちは本来一対一だ。
助太刀に頼れば俺の名折れになる。
仇討ちの名目が立たぬ。
おまえが一人なら一人で相手してやる。
与助と健五は手出しするなよ」
次郎太は後ろへ一歩下がり、広之進は一歩進んだ。
「もはや運の尽きだ。あきらめろ」
広之進は息も整い、落ち着いた様子になっていた。
次郎太はこの危機的状況の中で、これまでのことが走馬灯の
ように思い出された。道場から逃げ出し、賭場に住み込み、
江戸へ出てさまよい、小栗に拾われ奉公の日々、剣術道場
での稽古や根付の感動、伝習隊一員としての訓練、そして
権田村での暴徒相手の活躍、夫人方を護衛して会津への
逃避行、また上州に戻り、野州へ移っての再会の面々、
長く寒い山村での潜伏、西軍との戦闘に一揆への直訴、
ようやくの江戸、駿府行きに、小栗の首級の取り返し、
そして別れ・・・・。
一瞬のはずが、時が長く感じられた。
(これで終わりか・・・・)
と、次郎太は気づいた。地面は硬い。が、草鞋で削れない
こともない。犬が掘るように、次郎太は右足のつま先で
軽く地面をつついた。
「なんだ、犬っころの真似か」
広之進は刀の柄(つか)を強く握る。
次郎太は前傾姿勢を取りつつ、
つま先で地面をつつき続けた。
「いかにも、おまえは犬死が相応しい」
広之進は刀を振り上げた。と、次郎太は右足を蹴り上げた。
つま先で崩れた土はそのままつま先に運ばれ、
広之進の顔にかかった。
「むっ」
広之進が顔を僅かに背け、柄(つか)を持つ両手で防ぐと、
次郎太は突っ込み、大きく袈裟懸けに左小手を斬りつけた。
「あっ」
左手首は勢いよく下へ落ち、広之進の体が左へ傾いた。
斬り下げた次郎太の脇差は向きを変えて直ちに広之進の
右へ上がり、首に叩きつけ、手前へ引っ張られた。
首からは軽く血しぶきが見えた。
広之進は首をすぼめる様にして左膝を着き、
仰向けに倒れ込んだ。
左にいた与助は、ひきつった顔で、
「おのれ次郎太、俺の兄まで殺しやがって、
たたっ斬ってやる。首を出せ」
と叫び、怒号を発しつつ桑越しに刀を振り回して来た。
刀は桑の枝にもかかって、枝は細かく切り落とされた。
次郎太はようやく声を出した。
「与助、待て、俺は当時、散々我慢した上での仕返し
だった、二人が死んだことは知らなかったし、
おまえがその弟だったなんて知らなかったんだよ」
「言い訳になるかっ」
与助は下がる次郎太へ迫りつつ勢いよく刀を振り回し、
刀は桑の上で空を切り、ときに枝を切り払った。
「与助、俺がどんな立場で、どんな目に遭ったか
知ってるだろうが」
当時、次郎太への三人のあからさまな悪意は、
与助も知らないはずはなかったが、素知らぬふりを
装っていた。彼は彼の立場があり、強く諌めるにも
勇気が要ったのかもしれない。
しかし今、次郎太への遠慮会釈の無い恨みごとに、
次郎太も腹が立ってきた。
「与助、おめえ、本気で俺を殺してえのか」
「当たりめえだ、ぶっ殺す、俺が兄に代わって藩士になる」
(恨みと野心ということか・・・・)
次郎太は与助の振り回される刀をよけつつ、
桑の枝葉に姿を隠すように腰を低くして後退する。が、
与助の刀が左右へ何度も振り回されるのを見透かした
次郎太は、枝葉の間から与助の胸に思いっきり脇差を
突き刺さした。
与助の動きは止まり、次郎太は脇差をひねると引き抜き、
退いた。
与助はそのまま上半身に枝葉がぶつかるのもかまわず
前へ倒れ込んだ。
「おのれ・・・・次郎太・・・・・・」
枝で傷をつけた顔を次郎太に向け、恨めしい目で睨んだ。
右にいた健五は予想外だったか、緊張の面持ちで、
「佐々木健五、我が兄に仇なす次郎太の首、貰い受ける、
勝負」
と叫ぶが、声は上ずった。
健五もまた与助同様に刀を振り回し、次郎太が避けつつ、
「健五、俺はおめえを知らねえ、おめえも門弟なら話は
聞いてるだろ」
と、後ずさりする。
「おいやめろ健五、考えろ、おめえ、俺を斬ったとして
目の前の二人をどうすんだ、俺を斬ればおめえの言う
仇討ちは果たされるだろうが、二人が死ねば四人だ、
道場も藩も恥の上塗りだ」
「それがどうした」
「おめえは年は幾つだ」
「十六だ」
「仇討ちでしくじれば、二度はねえんだぞ、
先を考えろ」
「うるせえ、黙って斬られろ」
振り回した剣先は枝を何本もなぎ払い、
健五の殺意を示した。

次郎太が後ずさりを続けることに苛立ったのか、
「次郎太、俺に斬られろ」
と、健五は刀を振り回しつつ、次郎太のいる左の畝に
移ろうと枝を強引に分け入ってきた。
枝を避けようと健五が両腕を上げた瞬間、次郎太が
峰打ちで健五の右小手を叩きつけ、衝撃と激痛から
刀は前方へ転げ落ちた。
「あっ」
慌てた健五が脇差の柄に手をかけたところ、
次郎太の脇差が健五の右腕に素早く当てられた。
健五が自分の脇差を抜こうとすれば、いやでも右腕
はざっくり斬られることになる。額から汗が流れ
落ちる健五は枝に挟まれ、次郎太の脇差で身動きが
出来ない。
「健五よ、俺の仕返しはたしかに正式な仇討ちとは
違ったが、散々我慢した上での報復だ。仇討ちが
正しいなら俺にも分がある。むしろ、おまえらの
やってることは逆恨みだ」
健五は次郎太を睨んでいる。次郎太はかまわず、
「仇討ちはな、二度は利かねえんだよ。わかるか。
ざっと十年前、俺が返して終わったんだよ」
「だったら俺はどうなるんだ」
「あいつらと同じで、餓鬼のおめえが馬鹿だったんだよ」
「なにをっ」
右手に力が入るが、次郎太の脇差が動きを許さない。
次郎太は諭すように静かに、
「道場と藩に命令されたんなら、逆恨みで返り討ちに
遭うのは恥の上塗りだと言っておけ。
二度とこんな醜態を晒すな、とな」
「・・・・・」
「手を下ろせ健五。勝負は決まりだ」
健五はゆっくり両手を下ろした。
「俺はおまえに恨みなどない。だから斬らない。が、
ごり押しされたら俺も抵抗する。勝手な理屈は俺も御免だ。
兄想いは大事だが、不当は許さねえ」
「・・・・・」
「あちこちで戦があった。知ってるだろ。蝦夷地では
まだ続いてる。藩だの何だの、もうそんな時代じゃねえぞ。
おめえは俺なんぞ無視して、本当に自分のやるべきことを
やれ。役目を担え。まだ若ぇじゃねえか。これからだろうが」
何年も仇討ちにこだわり、ひたすら稽古を積んで来たで
あろう健五の目には涙が潤んでいた。
次郎太が斬らないことが判って緊張の糸が切れたのか、
次郎太の忠告に何やら感じ入ったのか、涙は頬を伝って
地面に落ちた。
次郎太は抜刀のまま健五から離れ、
健五は落ちていた刀を拾い、鞘に納めた。
「帰れ」
次郎太の一言に健五は無表情のまま、しばらく
俯いていたが、次郎太に一礼するとその場を離れた。
健五が遠く歩いて行くのを見届けると、
次郎太はその場に力なく座り込んだ。

by huttonde | 2016-06-14 15:55 | 漫画ねた | Comments(0)
<< 時代劇 15 時代劇 13 >>