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淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編 2
23: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)22:10:31 ID:AJ9 ス光光波世界神団(スびかりこうはせかいしんだん) 【創始者】黒田みのる(黒田實) 【設立年】1983年 【本部所在地】東京都八王子市 【信者数】5,000人 【崇拝対象】天地創造之主大御神 【教典】主神大御経綸 少女漫画家の黒田みのるを教祖とする新宗教。 宗教法人「光輪」から改称。 黒田は若い頃からもやもやした黒い人影を見たり、 若い女性の角巻に水子の霊を見たりと 不思議な体験をしてきた。 その後、心霊科学研究会創始者の浅野和三郎の本などを 読んだり、降霊術の現場に立ち会うようになり、 心霊劇画家として活躍するようになる。 1970年に世界真光文明教団の岡田光玉に出会う。 この時、岡田は黒田に、「やっと会えましたね」と 話したという。その後世界真光文明教団の信者となり、 手かざしの研鑽を積む。 74年に岡田が亡くなり、彼の遺影に向かい 「自分の行く道をお示しください」と念じてると、 「八ヶ岳山麓の小渕沢の原野に行け」という インスピレーションが起こったという。 この教団では、人を「霊止(ひと)」 愛を「天意(あい)」など、独特の表記で呼ぶ。 現在、黒田みのるは真光との関係を否定している。 天理教 【創始者】中山みき 【設立年】1838年 【本部所在地】奈良県天理市三島町 【信者数】200万人~220万人 (明治末期には300~800万人) 【崇拝対象】天理王命 【教典】おふでさき/みかぐらうた/おさしづ 黒住教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。 天理王命とともに教祖と御霊の社を置き礼拝しているが、 一神教である。 教祖は「おやさま」と呼ばれ、 信者は「ようぼく」と呼ばれる。 「陽気ぐらし」という世界の実現を目指している。 教義では「人間の身体は親神からの借り物、 心だけが自分のものである」と説く。 「人たすけたらわがみたすかる」という教祖の言葉を 通し、人助けが基本理念にある。 天理教では人間の命の発祥地の中心を「ぢば(地場)」 と称し、教祖の「ぢばさだめ」という啓示で その場所を定めている。 現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に 建られている。通常は「おぢば」と呼び、人がこの地を 訪れることはすなわち故郷に帰ることであるから、 「おぢばがえり」と呼んでいる。 そのため天理駅や天理市内の信者詰所などには 「お帰りなさい」や「ようこそおかえり」 などという看板が見られる。 基本的に信者達は、その信心実践の証明として ハッピを平服の上から着用する。 現在も「神道系宗教」とみなされることが多いが、 教団側では「新宗教諸派」と称している。 ほんみち 【創始者】大西愛治郎(甘露台) 【設立年】1913年 【本部所在地】大阪府高石市羽衣 【信者数】32万人 【崇拝対象】宇宙万物創造主の親神様(月日御両神) /南無甘露台 【教典】おふでさき/みかぐらうた/おさしづ /泥海古記/教義一斑 天理教の教師だった大西愛治郎が、中山みきの 後継者であるという啓示を受けた (甘露台人の理と呼ばれる)が、その事実は天理教内 では受け入れられず、やむなく天理教から独立した。 1925年、愛治郎は奈良県で「おさしづ」を研究する 「天理研究会」を発足させる。 36年には「天理本道」と改称し、布教が本格化。 2度の不敬罪による検挙や禁令があったが、 終戦後には免訴となった。 50年に「ほんみち」と改称。同年11月、 脱税容疑で家宅捜索を受けた。 愛治郎は中山みきの生まれ変わりとして次女・大西玉を 養育したが、62年に、大西玉は、ほんみちより 「ほんぶしん」として分離・独立した。 教義は、 「天理教祖を通じてくだされた天啓録につき、 教祖の後継者"甘露台"が、 これを解明して体得せられたほんみちの教義をひろめ、 儀式・行事を行い、信者を教化育成し、伝道所を包括し、 教えの目的を達成するための業務を行う。 一手一つの理想人間界の実現。」とされる。 ほんぶしん 【創始者】大西玉 【設立年】1962年 【本部所在地】岡山県岡山市東区神崎町 【信者数】90万人 【崇拝対象】宇宙万物創造主の親神様(月日御両神) 【教典】不明 1961年にほんみち内部で天理みろく会として発足し、 1962年1月にはほんみちより独立してほんぶしんを名乗る。 教祖の大西玉はほんみちの創始者大西愛治郎の次女だが、 ほんぶしんでは中山みき(天理教教祖)の再生だとし、 「天啓者・みろく」と呼んで信奉している。 教義として、 「世界創造神を月日御両神様と呼んで崇拝し、 万物は神によって人間のために用意され、 人間は神の偉大さを反映するために存在する」 と教えられている。 主な活動としては、心と言動を改善させる内観的反省法の 「聞行」、リラックスさせ悩みを解決させる「善導」、 日常生活に積極的精神を植えつける「勇魂の言霊」 などがある。 世界心道教 【創始者】会田ヒデ 【設立年】1944年 【本部所在地】愛知県豊川市諏訪 【信者数】15万人 【崇拝対象】天地月日御親水火風之大神 【教典】会田ヒデによって解釈された中山みきの著書 会田ヒデは1923年に天理教に入信し、教師を務めて いたが、25年、大西愛次郎に賛同し、ほんみちへ移る。 38年、大阪府西淀川区で「月読之命」と「国狭土之命」 の2社が彼女の体に天下り、天啓者となったとされる。 44年、渋谷区上智町に移転。同年11月に「世界心道会」 を設立した。 教義によれば、 「従来の信仰では、ひたすら拝むことによって 天の加護が得られた。しかし、ヒデに神が天下った後は、 拝むだけでは功徳を積んだことにならず、道を開けねば 御利益は得られない。"道を開ける"とは、心の改良を 行うことである。身上や事情は人の心が天の心に反した ために起こるものであり、心の改良を行えば御利益が 得られる。これを"心のしんせいふっこう"と呼ぶ」 とされる。 世界心道教はこの新しい信仰のあり方を広く啓蒙する ことによって、理想世界の建設を目指すとしている。 天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう) 【創始者】北村サヨ 【設立年】1945年頃 【本部所在地】は山口県熊毛郡田布施町 【信者数】47万人 【崇拝対象】宇宙絶対神(天照皇大神) 【教典】不明 北村サヨは男勝りの陽気で世話好きな女性で、 農家の嫁であった。 1942年、サヨの自宅の納屋などが放火に遭い、 犯人捜しのために祈祷師に勧められた丑の刻参りと 水行の修行を始めた。 そして45年に宇宙絶対神(天照皇大神)が 降臨したと話すようになり、開教した。 教団の教えによれば、宇宙絶対神は三千年に一度だけ 地球に降臨するとされ、一度目は仏教の釈迦、二度目は キリスト教のキリスト、三度目が北村サヨであるという。 教団では「我欲をすてて無我の域に達することが出来れば、 人と神が合一する」と説き、無我の「舞」を踊るのが 特徴である。そのため、「踊る宗教」や「踊る神様」と 喧伝された。 この教団では、見たことのない人同士で「結魂」 (結婚の読み替え)することも珍しくない。 読み替えでは、「合掌」を「合正」、「聖書」を「生書」、 「信仰」を「神行」、「南無妙法蓮華経」を「名妙法連結経」 と書き換えている。 更に、葬式では「おめでとうございます」と言う。 死は魂の存在になって成仏をしたことを意味しており、 これは祝福すべきものであると主張しているためである。 パーフェクト リバティー教団(PL教団) 【創始者】御木徳一 【設立年】1916年 【本部所在地】大阪府富田林市新堂 【信者数】100万人~300万人 【崇拝対象】大元霊(宇宙全体) 【教典】PL教典 1916年、御木徳一は御嶽教徳光大教会の教祖、 金田徳光に弟子入りする。 彼は教団内で信望を得たものの、 風紀問題を起こして教団から追放される。 金田の死後の1928年、徳一は自分が金田の正統な 後継者だと主張し、教会とは別の教団を結成する。 31年に教団名を「扶桑教ひとのみち教団」と改称。 36年、徳一は少女に対する強姦猥褻容疑によって 逮捕されるという事件を起こし、また、教えの内容が 不敬罪にあたるとして幹部共々検挙され、 ひとのみち教団は解散処分となった。 46年、息子の徳近が「人生は芸術なり」ではじまる 「PL宣言」を発表、同年に佐賀県鳥栖市にて 「パーフェクト リバティー教団」を立教した。 53年 大阪府富田林市に本部を移転。 後にこの地を聖地とする。 教えとして、 「"人生は芸術である"の真理のもと、各人の真の個性を 世の為人の為に最大限発揮し、ひいては世界人類永遠の 平和と福祉の為に貢献する事」を目標とする。 教えの最も特徴的なものとして、 「みしらせ」「みおしえ」の真理がある。 身の回りに起こるすべての苦痛や苦難を、 「自分自身の心の傾きを知らせる神からの啓示」 ととらえ、これを「みしらせ」と呼ぶ。 この「みしらせ」に対し、個々の自己表現の上で 邪魔となっている心の傾きを教えてもらうのが 「みおしえ」である。 教団としての戒律は特に存在せず、日常生活の心得 として「PL処世訓」「PL信仰生活心得」などがある。 教団は「教祖が代々出現して時代にあった教えを説く」 という形をとる。 「パーフェクト リバティー」は「真の自由」を意味 しており、自由無碍なる表現を心がけ、世のため・ 人のために役立つよう自分に与えられた天職を全うし、 毎日を明るく楽しく過ごすことを標榜する。 スポーツも「肉体表現の芸術」として力を入れており、 特に高校野球が有名。 松緑神道大和山(しょうろくしんとうやまとやま) 【創始者】田澤清四郎(大和松風) 【設立年】1930年 【本部所在地】青森県東津軽郡平内町外童子字滝ノ沢 【信者数】4万5000人~10万人 【崇拝対象】大和山大神 【教典】不明 1919年、田澤清四郎は、天啓「神聲」を受けたのち、 十二ヶ年の忍苦修行を行満。 22年、次女大和松蝶(本名不明)に予期せずに啓示された 「啓典(三光の教典五光の神諭)」の解読による 霊性の開顕、修道に励む。 30年に松緑神道大和山会を結成。 教えは、 「礼拝と拝跪のみの信仰ならば、そは信仰の形骸に 過ぎず。無限の神を仰ぎつつ、自己を練磨し、 天寵を感謝し、勇躍して他の物象のことごとくに、 神の理想を具現すべく精進す、これ信仰の骨髄なり」 とされる。 霊波之光(れいはのひかり) 【創始者】長谷義雄(波瀬善雄) 【設立年】1954年 【本部所在地】千葉県野田市山崎字北亀山 【信者数】90万人 【崇拝対象】御守護神様(大宇宙神の分神・使者) 【教典】御書 「RHK」「霊波之光教会」とも呼ばれる。 創始者の長谷義雄(波瀬善雄)は教団で「御守護神様」 と称される。 1954年、結核により医者から余命1ヶ月と宣告されていた 長谷義雄が、霊峰山にて大宇宙神より「なんじ生きよ、 なんじ、神の道を行け」という啓示を受ける。 また、五剣山で苦行中に、光(霊波)が体内に 吸い込まれるという神秘体験をし、 義雄は自ら大宇宙神の分神であることを悟る。 56年に「霊波之光鑚仰会」を発会する。 57年、宗教法人として認定。 教会では、難病や不幸から抜け出せ、奇蹟が起こる (神通力と呼ぶ)ことを他の宗教との違いとしている。 しかし、自分のための利益信仰ではなく、正しい心を つくり、他人の幸せを祈ることを教えとしている。 教義は、 「暖かい心はあいさつから。笑顔と思いやりに喜びと幸せ」 「我苦しければ、人また苦なり。喜びを与えられる前に、 喜びを与えよ。人の喜びは、我が喜びと思え。 我を愛する前に、人を愛せ。教えとは神の御心なり。 言い訳とは我が心なり」など。 目的は「人類救済、世界平和の実現」。 教団では御守護神様の生まれた1915年(大正4年)を 霊波元年とする「霊波暦」という暦を採用している。 2015年は霊波101年である。 極悪教団なら一言添えてほC 38: 名無しさん@おーぷん 2015/05/23(土)23:03:40 ID:AJ9 >>37 今のところ変な噂が立ってない教団を挙げた方が早いな。 上がしっかりしてても末端がアカン場合もあるし、 難しいやで 大山ねずの命神示教会 (おおやまねずのみことしんじきょうかい) 【創始者】稲飯定雄(供丸斎) 【設立年】1953年 【本部所在地】神奈川県横浜市南区宮元町 【信者数】80万人~85万人 【崇拝対象】大山ねずの命 【教典】真実の光 など 名前の「ねずの」には、値する漢字 「ネ+"氏"から"一"を引いた字」が入る。 (したがって、"大山孤命神示教会"のような見た目になる。) 1946年、稲飯定雄が咽頭癌で患っていたところ、 夢の中に神(大山ねずの命)が現れる。神は 「命が欲しければ、神にすがれ、神の教えを世に伝えよ」 と言い、夢から覚めると、水を飲んでも楽に喉を 通るようになり、稲飯は命が救われたことを知った。 48年、一心に大山ねずの命にすがっていたところ、 神より「大山ねずの命の名を世に広め、神の力と神の 教えによって大衆を救助せよ」との啓示を受ける。 53年、「大山ねずの命神示教会」を設立する。 彼はその時に神より、神の使者として供丸斎 (ともまるさい)の称号を与えられた。 先が分かる神と評判を呼び、多くの者が集うようになり、 講話には会場に入りきれない信者があふれるほど 集まるようになった。 しかし1975年、支部長による信者に対しての 傷害事件が起きた。 このことで信者の間に動揺があり、また、妻である 供丸嬢(本名不明)や当時の教会幹事長による 「供丸斎の排除」が計画された。 この時、支部長である森日出子(後の供丸姫)は 計画を察知し、混乱を治めた。 また傷害事件についても、依頼を受けた弁護士の 活躍で不起訴処分となった。 同時に信者に対する再教育を図り、動揺を最小限に 食い止め、供丸斎が無実とされたことが分かると、 この時期を境としてさらに信者数が増大 していくことになる。 この出来事を機に、供丸姫は供丸斎から教会運営を 任されるようになり、供丸斎→供丸姫→信者と 教会の一元化をもたらした。 信者数はその後10年間で5万人から80万人まで急増し、 一気に大型教団へと成長した。 神、仏、人の道を守り、自己の運命を輝かせて 人生の正道を歩むことを教義の中心としている。 「神にはすがるもの。先祖、仏には安心感を与えるもの。 人とは和合するもの」と説いている。 ワールドメイト 【創始者】深見東州(本名:半田晴久、旧名:深見青山、 戸渡阿見、フランソワーズ・ヒガン、夏目そうしき、 ピエール・ブツダン、美川憲二、レオナルドTOSHU) /植松愛子(本名:徳田愛子、別名:橘カオル) 【設立年】1984年 【本部所在地】静岡県伊豆の国市立花 【信者数】7万4000人 【崇拝対象】御親元素大御神 (宇宙の中心に位置する絶対神) 【教典】不明 創始者の一人、植松愛子は1934年生まれ。 愛子は5歳の時、白い髭を生やした見知らぬ老人から 「37歳になったら大きな使命が下る」と言われる。 彼女はごく普通に結婚し、2児を生み、平凡に暮らして いたが、1972年に「御親元素大御神」が降り、 「まず女性を教育せよ」「やがて笛吹き童子がやって 来る。その若者(深見東州)にすべてを伝えるがいい」 と告げたという。 深見東州は1951年に生まれる。母親が世界救世教の信者 だったため、同教団に入信したが、その後大本教 →道院紅卍字会と渡り歩く。彼はいわゆるエリートで、 頭も良く、人望も厚かった。 1985年、「コスモコア」を設立。その後「コスモメイト」、 「パワフルコスモメイト」、「パワメイト」の名称を経て、 1994年末に「ワールドメイト」の名称に変更する。 オーストラリアへ行った際、盲人でゴルフをする人を 紹介されたのがきっかけで、「日本盲人ゴルフ振興協会」 (日本ブラインドゴルフ振興協会)を設立する。 1994年、ワールドメイトの信者による玉串料返還請求訴訟 (慰謝料含め1億円)が起こり、ワールドメイトは28億円 の脱税の疑いで東京国税局から2回強制捜査を受けている。 「宗教団体としての、弱者救済の立場に立った、 慈悲慈愛の実行」「人道的見地に立った、 会員や社会への対応」「社会良識に基づく誠実な対応」 を3大スローガンとし、組織運営の根幹に置いている。 「来るもの拒まず、去るもの追わず」のあり方を心がけ、 会員に布教義務は無く、神事や講演会への出席の義務はない。 情報源は、メールマガジン、郵送物、電話、ウェブサイト、 書籍、カセットやCD、ビデオやDVD等から 自由に選択できる。 活動の節々から既存の神道さらには宗教の枠を越えた 宗教団体たらんという志向性がうかがわれる。 リーダーの深見東州は、元来ユーモアやギャグにあふれた 「ギャグ爆発の宗教家」であり、本部や支部名にも ギャグ混じりの名称を名付け、公式ウェブサイトや 著書等でもギャグを連発させている。 例(支部・本部の名前) ※ほんの一部です ・本日も晴天全てがOK支部(北海道札幌市) ・帯広ちりめん問屋の越後屋でございます。 本当は水戸のご老公様なんだ支部(北海道帯広市) ・本タラバ毛ガニ手足バタバタ・忍者走り!! 北海道エリア本部(北海道札幌市) ・完熟トマトあちらにポロリこちらにポロリ、 結局畑はトマトだらけ何て真っ赤な幸せ新宿エリア本部 (東京都新宿区) ・キラリ北辰・銀河はドドーン!支部(千葉県千葉市) ・僕は観音、君は金龍2人合わせて金龍山、 君と僕とで救う支部(東京都台東区) ・100g1万円の熱湯玉露茶渋谷支部(東京都渋谷区) ・仲の良い人ばかりの中野支部(東京都中野区) ・追ったまゲータウェイ支部(群馬県太田市) ・鳥だ!ジェット機だ!いや鎌倉大仏だ!支部 (神奈川県鎌倉市) ・朝起きて寝るまで幸せとしか出会えない支部 (神奈川県相模原市) ・宇宙戦艦トヤマ支部(富山県富山市) ・「どうしてもここに行きたい」 「ああそうですかどうぞ」支部(岐阜県多治見市) ・うじうじせず抹茶飲んでがんばれ支部(京都府宇治市) ・米国ニューヨークすしバー中央本部 ・英国ロンドン・ミソスープ総本部 しかし、同団体でユーモアが重視されているのは、 深見の圧倒的な学識と博覧強記な知識に裏付けられた 深い思想や教えがあるためでもある。 また、深見はカンボジア等の貧困地域に学校と病院を 開設したり、毎年、全国35,000人の孤児の3分の1程度に サンタのクリスマスプレゼントを渡すという活動を 行っている。 友愛グループ女神ノ海 【創始者】藤田妃見子(乙姫様) 【設立年】1973年 【本部所在地】大阪府大阪市東淀川区西淡路 【信者数】5,000~6,000人 【崇拝対象】藤田妃見子 (の中にいる天照大御神と思われる) 【教典】虹の響き/龍宮乙姫 創始者の藤田妃見子は、1923年、 熊本県鹿本郡に生まれる。 幼い頃から霊的な感性が強く、 観音様から何度か啓示を受ける。 1973年10月7日午前11時30分、 火の国熊本の日向の岩壁「天の岩戸」が開き、 宇宙の母・天照大御神が12000年ぶりによみがえり、 妃見子の身魂にお入りになった。 彼女はこの時をもって立教した。 宇宙の母なる神の天照大御神の蘇りにより、 一、個人の苦しみを癒し 二、神との合一 三、人類の霊的進化 という3つの次元を融合して、 龍宮世界への実現を目指すと言う。 活動 「母なる神の天照大御神に身魂を任せて、恋い慕い、 生死を越えて嬉し、楽し、有難しで生き通す。 雨土に在りとして、あらゆるものの弥栄を祈る。 人類の神への進化により龍宮世界を目指す。 自分のいる場を天照大御神の龍宮にする。 それにより縁がある人々を光明へと導く」 紀元会 【創始者】松井健介(大神様) 【設立年】野県小諸市 【本部所在地】 【信者数】700~1200人(ピーク時5000人以上) 【崇拝対象】日之本大神 【教典】大和神報 松井健介は、妻と共に子供の雑貨や玩具を台車に乗せ 売り歩く極貧生活を送っていたが、ある日 「ヤマトタケルの生まれ変わり」「日本の114ヶ所に お宮を建てないといけない」などと言うようになり、 1970年10月に紀元会を立教する。 教義は、「日之本大神」を主神とし、日本神道に従って 祭祀を行い、神道を信奉する者を育成するとしている。 「飲んだりつけたりすると不治の病に効く水」を 「紀元水」と称して提供し、1升瓶1本6万円で 売っていたとされる。 「紀元水」は非売品であるとしながらも、実際には 5合3800円から一斗1万円程度の金員で会員に 出しているそうだ。 販売当初は「がんが治る水」という触れ込みだったが、 やがて精神病など現代医学では治療困難な病気に悩む 患者やその家族に「紀元水を飲んで治った信者がいる」 と雑誌、口コミで広がり、ピーク時は5000人規模の 信者がいた。 しかし、2002年に初代教祖が亡くなった頃から信者が 脱会、2007年9月に発生した集団暴行事件(紀元会会員が 女性会員(63)を集団で暴行して死亡させ、その次女に 3週間のけがを負わせ、計34人が逮捕された事件)の 時点では数百人規模にまで減少した。 本部には大和神社という施設があるが、 天理教のものとは関係がない。 平和教 【創始者】棚橋信元 【設立年】1954 【本部所在地】岐阜県揖斐郡池田町片山 【信者数】4400人 【崇拝対象】元無極體天之御中主國常立統靈産土之大御神 【教典】不明 1954年、棚橋信元は、寶生山平和大御神より 「世界の人々と手を取り合って世界恒久平和を達成せよ」 との神託を受けた。同年、平和教を立教する。 人間は生まれながらにして神性・霊性を備えているが、 通常、そのことに気づいていない。この内在している 神性・霊性を独特の方法で速やかに開発するのが修行で、 霊感修行とも言う。 指導者が後方に座り、神々に修行者の神性・霊性を 開発して頂くように祈る(秘伝の祝詞を奏上)。 参加者は目をあけたまま自然の状態で座るだけで、 神性・霊性(霊能)が開発され、「神伝治病法」などの さまざまな修法を受けることができる。 教主のブログが週1ペースで更新されていて面白い。 画像検索はしない方がいい。 神社本庁 【創始者】皇典講究所、大日本神祇会、 神宮奉斎会を中心とする全国の神社 【設立年】1946年 【本部所在地】東京都渋谷区代々木 【信者数】不明 【崇拝対象】自然崇拝・祖先崇拝を基調とした信仰 【教典】神社神道に教典は存在しない 日本全国にある約8万の神社を包括している宗教法人。 「包括下の神社の管理・指導」「神社神道の宣揚」 「神社祭祀の執行」「信者(氏子)の教化育成」 「本宗である伊勢神宮の奉賛」「神職の養成」 「冊子の発行頒布を通じた広報活動」などを 目的としている。 また政治運動として、「皇室の男系継承の尊重」 「首相の靖国神社公式参拝の推進」なども行っている。 「神道政治連盟」や「日本会議」といった団体を通じて、 自民党を中心とした一部の保守政治家にも影響力を持ち、 政治活動を行っている。原発問題にも圧力を持つ。 神社本庁は最大の神社統括組織だが、 唯一の組織ではなく、他団体に属する神社も数多い。 また、包括団体への加盟・離脱は各神社の選択によるため、 有力社・古社・地域の中小神社にも、神社本庁の傘下に 属さない神社(日光東照宮や伏見稲荷大社など)が かなりの比率で存在している。 本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう) 【創始者】長松清風 【設立年】1857年 【本部所在地】京都市上京区御前通一条上ル東竪町 【信者数】40万人~50万人 【崇拝対象】三宝尊 【教典】法華経本門八品/日蓮聖人御遺文 など 長松清風は、人生への懐疑と求道心から法華経本門の 教えに帰依して出家したが、当時の宗門大勢のあり様に あきたらず、やがて独自の道を歩み、1857年に京都の 新町通り蛸薬師下に在家信徒のみで本門佛立講を開いた。 清風の教えは、「どこまでも日蓮の伝えた法華経の題目 (南無妙法蓮華経)を口に唱える修行を第一」とし、 それによって授かる目に見える現証利益を強調 するものであった。 布教にあたっては正信の証として現証利益を強調する ことが強く、加えて他宗・他宗教に対する批判も 激しかった。入信に当たっては「他宗・他宗教の お守りや札・像を破却する」という、 いわゆる謗法(ほうぼう)払いも佛立講が最初に行った ものであり、これらの布教方法は問題を生む 一因となった。 万人に、誰にでも分かりやすく御仏の教えを広めようと、 「御教歌」と呼ばれる仏教の教義を和歌へ盛り込んだ ものなど、その教えは現代においても非常に分かりやすい。 また、清風は書画においては江戸末期の三筆と言われたり、 優れた歌人でもあり、当時の知識層などが掲載された 平安人物誌、西京人物誌にその名が掲載されたりと、 江戸末期から明治を代表する優れた文化人といえる。 清風入滅の後、講の運営に対する僧侶の関与や現世利益 の強調・本門法華宗との関係のあり方など多くの論争を 生み、その中から獅子吼会や日蓮主義佛立講などの 分派を生んでいった。 また、在家主導の組織運営・現世利益の強調・他宗攻撃 などのスタンスは、その後の法華系の新宗教に広く影響を 与え、佛立講から霊友会へと入信して妙智会教団を創設 した宮本ミツの様な遍歴を重ねるものもいた。 霊友会 創始者:久保角太郎/小谷喜美 設立年:1930年 本部所在地:東京都港区麻布台 信者数:426万人 崇拝対象:仏所護念の本尊 教典:一部経/彌勒菩薩経/青経巻 など 1920年、久保角太郎は、兄の知人を介して西田利蔵 (西田無学)の教えを知り、これに強い影響を受ける。 西田の教えは、「出家ではなく在家仏教を主張する」 「夫婦双方の先祖供養のため"総戒名"という方式を 用いる」「無縁墓地となった墓石を洗い、 法名を写し帰って自分の家に祀り、供養する」 「"無量義経"、"観普賢菩薩行法経"などによる 独自の経本を用いて読経・唱題する」 というものとされる。 24年、若月チセらと南千住霊友会を結成するが、 その後袂を分かつ。 小谷喜美は、久保角太郎の兄嫁にあたる。 1925年、角太郎の兄、安吉の後妻となった喜美は、 夫が腰痛を患って立てなくなる度、角太郎の指示に 従って水をかぶり法華経による先祖供養を行った。 すると1週間ほどで安吉が立てるようになったという。 喜美はその他にも「真冬に浴衣1枚で生活する」 「毎日、数時間の水行」「長期間の断食」などの 指導を受け、霊能者として造られていった。 30年、小谷喜美を名誉会長とし、貴族院議員の 永山武敏男爵を会長に迎え、久保角太郎を理事長として 「霊友会」として発会。(当初は氷山武敏が会長と なったが、早々に辞任したため、喜美が会長に就任) 角太郎は女性信者を次々と霊能者に育て、 布教を拡大していった。 44年、角太郎が他界。喜美が頂点に立つ。戦後になり、 救いを求める人々を中心に大きく教勢を伸ばしていくが、 1949年、占領軍の捜索を受け、本部から金塊とコカイン が摘発され、その翌年、脱税容疑で捜査が入り、 麻薬所持で喜美が検挙されるなどの事件があり、 教団は分裂、多くの脱会者を出し、 多くの分派を生むことになる。 71年、喜美の死去後、角太郎の子息である久保継成が 会長に就任。「インナートリップ」を提唱し、 若者をターゲットとした布教方針を掲げた。 2013年、末吉将祠が会長に就任。 霊友会の目的は、在家による法華経の菩薩行の実践と その普及にある。 自らの悟りと他者の悟りを同時に希求するという法華経が 唱導した「菩薩行」を実現するものであり、先祖の供養も 含めてすべての活動が菩薩行の一環であるとされている。 また、宗旨・宗派に関わりなく、父方・母方(夫方・妻方) 双方の先祖にお経をあげる中で自分のいのちの源に心を 向け、他人と積極的に関わり、お互いを尊重し高めあえる 仲間をつくり、生活の実感を「つどい」で語り合う。 政治活動として、宗教右派・保守系政治団体「日本会議」 に代表委員を送り込み参加している。 また、これまで参議院の全国区・比例区選挙において 内田芳郎/細川護熙/佐藤信二/久世公堯/石井道子 /清水嘉与子/石田昌宏/太田房江といった候補を 支援してきた。 http://world-fusigi.net/archives/7958207.html http://world-fusigi.net/archives/7962129.html?1432834793 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4880282.html
by huttonde
| 2015-05-27 23:36
| 創価・統一・カルト関連
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