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淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編 3
淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編 3

立正佼成会

【創始者】庭野鹿蔵(庭野日敬,開祖)
 /長沼政(長沼妙佼,脇祖)
【設立年】1938年
【本部所在地】東京都杉並区和田
【信者数】350万人~400万人
【崇拝対象】久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
【教典】法華三部経

庭野鹿蔵(新井支部・副支部長)と、庭野の勧誘で共に
霊友会を信仰していた長沼政は、霊友会の有力な
信者であった。
ある時、霊友会会長の小谷喜美が「法華経の講義は
時代遅れ」とする発言をし、それを聞いた二人は
霊友会からの脱会を考える。
彼らが所属していた新井支部の支部長で、熱心な
法華経行者であった新井助信の強力な勧めもあって、
1938年3月5日に「大日本立正交成会」を創立した。
発会にあたり、庭野鹿蔵は「日敬」、長沼政は
「妙佼」と改名して戸籍を登録した。

1943年、霊感指導が人心を惑わすという理由で二人は
検挙され、この事件によって多くのの支部長が
脱会してしまう。
56年にも読売新聞が本部用地取得における疑惑を報道し、
庭野が国会に参考人召致される事態に至るなど不祥事が
重なり、教団内に庭野批判論と長沼期待論が広がるも、
翌年の57年、長沼妙佼が病気で死去。
翌年の1958年、庭野は教団創立から長沼の死去までを
「方便時代」と定め、今は「真実顕現の時代」に
入ったと言う。
そして霊能中心の信仰から教学重視の信仰への転換を
はかるとともに、本尊は「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」
であると宣言する。。
さらに60年、教団の名称を「立正佼成会」と改める。
99年、庭野日敬が死去。現会長は庭野日鑛である。

立正佼成会の本尊は、長沼妙佼の霊感により、
形を変えてきた。
「曼荼羅に毘沙門天」→「南無妙法蓮華経、
天壌無窮、異体同心の旗」→「旗に大日如来を
加えたもの」→「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」
→「日蓮聖人の大曼荼羅」

教義としては、
まず「教菩薩法 仏所護念」と書かれたタスキをかけ、
仏壇に総戒名を祀ってその前に霊鑑(過去帳)を置き、
朝晩に「聖典」という教典を読んで先祖供養をするもの。
在家が法華経によって先祖供養を行うという点では
霊友会と同じだが、法華経に基づく教義や根本仏教、
開祖法話による人間の内面の修養を行いつつ、
自他共に救われる修行の推奨(教団では「心田を耕す」
と呼ぶ)など、教団独自の特色が色濃く出ている。
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佛所護念会教団

【創始者】関口嘉一/関口トミノ
【設立年】1950年
【本部所在地】東京都港区白金台
【信者数】140万人~180万人
【崇拝対象】日蓮大聖人ご真筆
【教典】法華三部経

関口嘉一・トミノ夫妻は、共に日蓮宗中山法華経寺や
不動明王、また観音信仰をしていたが、隣人の勧めに
よりトミノが1933年に霊友会に入信。
嘉一も後に入信、第6支部長を歴任したが、霊友会の
共同募金横領・脱税事件を契機に離脱。1950年、

妻のトミノと共に教団を設立した。
発足した当時の信者数は約3万5000人だった。
教義は法華経を基盤とし、先祖供養などを説いている。
毎年、身延山久遠寺へ団参を行うほか明治神宮・
伊勢神宮への参拝を行う。また建国記念の日の
奉祝・靖国神社の国家護持を主張する。

政治との関わりは深く、これまで参議院の全国区・
比例区選挙では大竹平八郎/佐藤三蔵/村上孝太郎/
鳩山威一郎/藤井裕久/佐藤欣子/楢崎泰昌/尾辻秀久/
有村治子/衛藤晟一といった候補を支援してきた。
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妙智會教団

【創始者】宮本ミツ/宮本孝平
【設立年】1950年
【本部所在地】東京都渋谷区代々木
【信者数】90万人~100万人
【崇拝対象】十界互具の曼陀羅/佛舎利
【教典】法華三部経/宮本孝平御遺珠
 /会主説法全集 など

孝平・ミツは、当初、「本門仏立講」に入信していたが、
1929年にミツが諸病にかかり、そこで題目を唱えるも
好転せず、34年に医師の反対を押し切って退院、
その後ミツの兄から霊友会を勧められ入信した。
2ヶ月後には夫の孝平も入信。
36年の暮れに孝平が霊友会の第7支部長に就任。
翌37年には霊友会本部の勤務になり、45年に孝平が
死去してからはミツがその支部長を引き継いだ。
このときの第7支部は霊友会の中でも最大の支部となった。
ミツは霊友会会長の小谷喜美にいつも叱咤され、
数珠で打たれた事もあったという。
49年、いわゆる霊友会事件により、他の支部が独立し
教団化したのと同様に、50年に霊友会から離脱し、
「妙智会教団」と公称して、52年に宗教法人格を
取得した。

教義は、西田無学が提唱した在家による
法華経の先祖供養である。
根本の教えは「先祖供養」「忍喜」「懺悔」「感謝」の
四つであり、ことのほか「先祖供養」を重視する。
他「教行による人格完成に努力する」
「忍喜による世界平和に邁進する」
と言う教団の綱領がある。
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創価学会

【創始者】牧口常三郎/戸田城聖
【設立年】1930年
【本部所在地】東京都新宿区信濃町
【信者数】827万世帯(1200万人~2000万人)
 ※実数は600万人前後とされる
【崇拝対象】本門戒壇の大御本尊
 (一閻浮提総与の大御本尊)
【教典】法華経/新編日蓮大聖人御書全集 など
【機関紙】聖教新聞/大白蓮華

法華系の在家仏教団体。公明党の最大の支持母体でもあり、
国際的な組織として、創価学会インターナショナル(SGI)
などがある。

創立者となった牧口常三郎は小学校の校長を歴任した
教育者であった上、地理学に強い関心をもち、
地理学関係の著作も残している。
1930年に創価学会が創立されたとき、その名称は
「創価教育学会」というものだった。この名前からも
わかるように、当初は宗教団体というよりも
教育者団体としての性格が強かった。
しかし「教育による社会改革の根底には日蓮の教説に
基づく宗教革命が必要である」という主張をしだいに
強く掲げるようになり、37年、正式に発会式を
あげたあとは布教活動が中心となった。

創価学会二代会長の戸田城聖には、多くの人を集め、
集まった人間たちのこころを掴む特異な能力が
備わっていたという。
信仰しさえすれば豊かな生活が送れるようになると
約束する(現世利益)ことで、急速に信者を
増やしていった。
また、信仰による豊かさの実現と言う「現世利益」の
教えとは別に、高度経済成長という社会背景があり、
真面目に働いていれば収入が増え、豊かになれる者が
多かった事が幸いした。

東京/横浜/北九州などで会員約3000人に発展したが、
当時の「宗教統制策」に反対し、宗門合同や
伊勢神宮神札拝受を拒絶したため弾圧され、
43年に治安維持法違反と不敬罪容疑で牧口、
戸田ら幹部21名が検挙され、牧口は獄死した。

46年、戸田は同会を「創価学会」の名で再建。
活発な布教活動を開始した。
彼は獄中での宗教体験をもとに「生命論」を説き、
「人生の究極目的は信仰による生命の変革、すなわち
"人間革命"である」と主張、その実践として
「本尊(信仰対象)への唱題」と「折伏(しゃくぶく)行」
(他宗教の破折)を強調した。
(勧誘活動のことを「折伏(しゃくぶく)」と呼ぶ)
さらに青年部の強化、信者間の連携を保つのに
有効なタテ線組織化が盛り込まれる。
学会は急拡大するが、75万世帯を目標にした
「折伏大行進」運動の過程で、一部信者による
強引な勧誘は社会問題も引き起こした。
58年には会員世帯80万に達した。
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1955年には、「公明(公正で隠しだてをしない)選挙」
「政界浄化」をスローガンに地方議会に、
翌年は参議院に進出した。
政界進出は、1960年に戸田の後を継いだ第3代会長・
池田大作の時代に本格化した。
64年、宗教政党「公明党」を結成、3年後には25名を
衆議院に送り、その後野党第二党に発展した。
しかし政治への積極的参加は、政教分離制度下での宗教と
政治のあり方をめぐって既存の諸勢力からの反発を受け、
70年、おりから発生した学会批判書の出版阻害事件を
きっかけに「言論問題」が発生した。
それを機に創価学会と公明党との組織的・機能的分化が
なされ、公明党は国民政党へと方向転換するとともに、
創価学会の社会的活動は教育、文化、平和運動に重点が
置かれるようになった。

公明党は93年の衆議院選挙で51議席を確保し、参議院でも
24議席をもつなど、多党化時代に入って有力な位置を
占めるようになった。同93年には第二次世界大戦後38年間
におよぶ自民党政権が崩壊し、非自民連立政権が誕生したが、
公明党は4人の閣僚を送り、政権の一翼を担うこととなった。
1991年、日蓮正宗より信徒組織として解散勧告を受ける。
学会はこれに対し日顕の退座を要求する文書を郵送して
反論する、同年に破門され、92年、池田大作が日蓮正宗
より信徒除名処分にされる。

池田大作が会長になった時代には、教勢が大きくのび、
1970年には会員世帯が750万に達した。教団基本組織も
整備され、男子部/女子部/学生部/高等部/中等部
/少年部などの育成組織や、教育/芸術/学術の
文化局各部を結成したり、地域ごとのブロック組織などが
つくられていった。
海外布教も進展し、75年には国際組織
「創価学会インタナショナル(SGI)」が結成され、
会員は163の国と地域、約150万人に達した。

<教義>
宇宙そのものを個別の生命体を生み出す一つの大きな
生命とみなし、この大生命が「仏」であり、
さらに宇宙と生命を支配する永遠普遍の法則を表したのが
「南無妙法蓮華経」という題目であるとする。
日蓮を末法の御本仏と仰ぎ、御本尊を信受し、
日蓮の御書(遺文)を根本として、日蓮の御遺命である
全世界広宣流布を実現することを目的とする。

創価学会の「師弟相対」のあり方は日蓮正宗と異なり、
幹部が下の者を指導するという
「素人が素人を指導する組織」と揶揄されている。
また、大石寺67世法主阿部日顕を「邪」と定め、
それ以降の日蓮正宗を「邪教」と呼んでいる。
外郭団体には創価学園/創価大学/創価女子短期大学
/民主音楽協会/東京富士美術館/東洋哲学研究所
などがある。
学会系の出版社に潮(うしお)出版社
/第三文明社などがある。



創価学会はフランス政府/ドイツ政府/ベルギー政府
/オーストリア政府/チリ政府などから
カルト教団(セクト)としての扱いを受けている。

創価学会はWikiページの文章量だけでも
群を抜いて多い。
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創価学会が関わった有名な事件・事故の一部

■偽造写真事件
破門後の1992年、学会は創価新報に捏造した宴席写真を
掲載し、日顕を批判。日蓮正宗との訴訟に発展した。

■コーヒーカップ裁判
1992年、川崎市にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を
預けていた学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部と
ともに息子の遺骨を受け取った際、
遺骨がコーヒーカップに入っていたと主張。

■創価学会違法ビラ事件
2001年、04年の2度にわたり日蓮正宗を誹謗中傷する
デマのビラを配布。配布された範囲は10都府県、
34の市町村に及ぶ。

■携帯電話通話記録窃盗事件
2002年、創価大学剣道部監督だった幹部が交際していた
女性の浮気を疑い、通信会社に勤務していた部下の
学会員に通信記録を調べるよう指示し
盗み出したというもの。
また捜査の中で創価学会に反目する団体幹部や
ジャーナリストの通信記録も盗んでいたことが発覚した。

■池田大作落書き訴訟
1970年、会長の池田大作が、在籍していた女性信者の
娘の顔に、マジックで落書きをした事案。

■池田大作レイプ訴訟
1996年、北海道創価学会の幹部を解任された女性が、
「過去数回にわたり池田大作会長からレ○プされた」
との告発手記を週刊新潮に掲載した。

■セクハラ疑惑
創価学会男子部本部長を務めていた幹部が女性複数人と
結婚の約束をするなどし性的な関係を持ち、性的関係を
拒否した女性へは立場を利用したパワーハラスメントや
セクハラを行う等の行為を行った。また国外の例では、
フィリピンSGIで幹部が女性メンバーに対し
セクハラを行った。

■大阪事件
1957年に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、
創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に
候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして
逮捕された。

■新宿替え玉事件
1968年に行われた参議院議員選挙で創価学会が
不在者投票を悪用し、本人になりすまし投票を
行ったとされる選挙違反事件。

■投票所襲撃事件
1969年、東京都議会議員選挙において、百数十人の
暴走した学会員が投票所を襲撃、集団暴行を加えた事件。

■住民票異動疑惑
創価学会が組織的に、選挙前に住民票を異動し
公明党候補へ投票しているという疑惑。

■マインドコントロール、幼児期からの教育
学会はマインドコントロールの問題を指摘されている。
創価学園による一貫教育「子供を勧誘し、教化する」
行為や、毎日購読される聖教新聞などによって洗脳が
行われているとされるもの。
元委員長であった矢野絢也は「創価学会員二世、三世は
幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本や
アニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が
素晴らしいかを刷り込まれる。そして一貫教育システムに
よりエリート教育される」と指摘している。
現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちに
よって固められ、また公明党議員も創価大学出身者が
多くを占めている。
この点はフランス政府からも問題視され
公文書に記載された。

■過去に起こした事件の美化、改竄
学会では大阪事件や言論出版妨害事件等、社会問題化した
事例を近年美化、改竄する傾向があり批判されている。

疑惑の段階でも、香典泥棒疑惑/献金疑惑/暗殺依頼疑惑
/在日韓国人疑惑/お布施(財務)流用疑惑
/麻薬ビジネス運用疑惑/架空取引事件参加疑惑
詐欺事件参加疑惑/総会やらせ疑惑
/ゴーストライター疑惑など枚挙に暇がない。

冨士大石寺顕正会
(顕正会,ふじたいせきじけんしょうかい)

【創始者】浅井甚兵衛
【設立年】1942年
【本部所在地】 埼玉県さいたま市大宮区寿能町
【信者数】130万人~140万人
【崇拝対象】本門戒壇の大御本尊
【教典】法華経十巻/日蓮大聖人御書 など
【機関紙】顕正新聞

1942年、日蓮正宗妙光寺の総代であった浅井甚兵衛が、
妙光寺所属の法華講の一講中として「東京妙信講」を
設立する。
しかし講の中心者である浅井甚兵衛・昭衛親子は身勝手な
行動が多く、戦後の混乱期に豊島教会、その後法道会に
所属を変更したが、法道会法華講と合併するため、
発展的に解散。
さらに法道会から離脱し、58年、「妙信講」を設立する。
日蓮正宗第65世法主・堀米日淳の配慮により宗門内では
極めて異例の認証式が行われる。
やがて創価学会が中心となって寄進・建立した
「正本堂」の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・
創価学会と激しく対立するようになる。

1974年、明治公園で「立正安国野外集会」を開催。
3000人が参加し、創価学会本部までデモ行進を行う。
さらに創価学会を非難・攻撃し続け、「流血の惨も辞さず」
との脅迫文を送りつけるに至る。
そこで宗門は妙信講に対する反省を促し、弁疏(べんそ)
の機会を与えて返答を待ったが、妙信講からは
その公式決定に従わない旨の返事があった。
宗門はこのような経過をふまえてやむを得ず、

妙信講を解散処分に付す。
しかしこれを不服とする浅井等は、宣伝カーで
創価学会本部を襲撃し乱闘事件を起こすなど、
過激な行為を行ったため、宗門は同年11月、
浅井父子を中心とする信徒33名を除名処分とする。
75年、宗教法人「顕正寺顕正新聞社」の成立に伴い、
妙信講はその信徒団体として再出発する。
77年、創価学会との法廷闘争で和解成立。
顕正新聞紙上では「学会と会長、池田大作に対する大勝利」
と主張。
78年、 日本武道館での総幹部会で団体名を妙信講から
「日蓮正宗顕正会」に変更。
85年、四者体制(男子部、女子部、婦人部、壮年部)
が確立。
86年、再び日本武道館で幹部大会開催。
「あと25年で広宣流布ができなければ、核戦争により
日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなき
ところであります」と発言する。
92年、信者2人が高校生を車に押し込んで顕正会事務所に
連れ込んで拉致し、入信願書に署名・押印させたとして、
強要の疑いで千葉県警柏警察署に逮捕される。
96年、法人認証後の総幹部会で日蓮正宗顕正会の自称を
「冨士大石寺顕正会」に改めるとし、現在に至る。

教義として、日蓮の説いた三大秘法の国教化、
国立戒壇建立を目的としている。
顕正会は日蓮正宗や創価学会と異なり、
「日本国民全員が入信し、国会の議決と天皇の国事行為に
より憲法が改正され、国立戒壇が建立された時」に
広宣流布が成るとしている。
その後一応の基準として、昭衛は80年代には1億人、
90年代以降は1,000万人という数字を挙げ実際に
誓願している。

政治思想としては、自由民主党などの既存政党には
与しない。ただし、創価学会が支持母体となっている
公明党は昭衛が旧妙信講の時代から繰り返し
「学会共々真っ先に撲滅せよ」と述べるなど
一貫して対立状態にある。

勧誘は「折伏(しゃくぶく)」(悪人・悪法を打ち砕き、
迷いを覚まさせること)という布教活動を行っている。
また、入会拒否の男性を監禁する、勧誘を拒否した
若者に暴力を加えるなどで逮捕者も出るなど、
暴力的な勧誘が目立つこともある。
顕正会は「冨士大石寺顕正会」と自称しているが、
正系門下の「日蓮正宗大石寺」と紛らわしい名称を使い、
会員を惑わしていると揶揄されている。
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淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編 3_c0072801_20292261.jpg

念法眞教(ねんぽうしんきょう)

【創始者】小倉庄太郎(小倉霊現)
【設立年】1925年/1928年
【本部所在地】大阪府大阪市鶴見区緑3丁目
【信者数】80万人
【崇拝対象】久遠実成阿弥陀如来
【教典】不明

1886年、小倉庄太郎は商家の子に生まれる。
兵役から除隊後に乾物屋をのれん分けされ、
結婚もしたが、招集された第一次世界大戦で
親友が戦死、出征中に家業を乗っ取られる。
また、自身の病気、長男の病死など立て続けに起きた
不幸に悩み、樋口セイ(教団では"霊生院"と呼ぶ。
近所に住んでいた霊媒師)に帰依し、
心霊現象に傾倒した。
1925年、庄太郎は阿弥陀如来から託宣
(教団では"ご霊告"と呼ぶ)を受け、大峰山で
修験道修行の後、1928年に「神仏心霊感応会」
を発会する。
31年に機関紙「鶯乃聲」を創刊、戦時下の新体制運動・
翼賛思想を鼓舞して教勢を拡大した。
教義に見える「世の立て直し」等の語句から、同時代の
出口王仁三郎(大本教)の影響も受けていたとされる。
39年に天台宗傘下に納まり、「金剛教会」に改称したが、
戦後の新宗教ブームの追い風を受け、47年に
「小倉山金剛寺」の名で独立。52年には現教団名の
「念法眞教」に改称する。
初代からの路線を継承して宗教右派的・保守的な
政治活動を活発に行い、「日本会議」に代表会員を
送り込んでいる。
教義として、「家庭の光明化に努め、教えの実践を徹底
し、神仏のあることを人に伝える」ことを目的とする。
世界はひとつであり、すべての人が人としての使命
(生かされている意味)を知り、仲よくすべきで
あることを知らせ、世界中の人がみんな友達となって
手をつなぎ、争いのない拝み合いの世界をつくることが
念法眞教の教えの精神であり、人として行うべき誠の道
「五聖訓」を説く。
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孝道教団(こうどうきょうだん)

【創始者】岡野正道/岡野貴美子
【設立年】1936年
【本部所在地】神奈川県横浜市神奈川区鳥越
【信者数】20万人~30万人
【崇拝対象】熟益開顕正法大曼荼羅
【教典】法華経

法華系の新宗教。霊友会と天台宗の影響を受けたとされ、
教団では後者に分類している。
岡野正道は、1900年、茨城県新治郡志士庫村に生まれる。
18年には天台宗星野山無量寿寺中院に出家している。
その後上京し大崎電線と言う会社に勤める。
同僚の計らいにより24年、貴美子と結婚。
34年に霊友会に入会したが、翌年に脱会する。
39年、「孝道会」の発会式が行われる。
52年の宗教法人登記と同時に「孝道教団」に名称変更。

孝道の「孝」は、親子の間の情愛、
「道」はそこから生まれてくる人間界のすべてであり、
これを体得したのが釈迦だという。
なお、過去・現在・未来をつらぬく縦の「孝」と、
全ての人に慈悲を及ぼす横の「孝道」と言うのがあり、
これを説いたのが法華経であるという。
究極的には、「孝道」は宇宙法界の真理に従う
「孝順至道(究極の道)の法」であり、
真理を説き明かした「法華経」の趣旨に一致する
実践道に他ならないとされる。

法華経を所依の経典とし、家族の中で智慧と慈悲を養い、
その心を広く社会に及ぼす「孝道」を実践することにより、
自他の幸福と人類の平和を実現することを目的とする。
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浄土真宗親鸞会

【創始者】高森顕徹
【設立年】1952年/1958年
【本部所在地】富山県射水市
【信者数】5万人~10万人
【崇拝対象】阿弥陀如来
 (帰命尽十方無碍光如来,南無不可思議光如来)
【教典】不明(仏説無量寿経?)

高森顕徹は浄土真宗本願寺派の僧侶であったが、
本願寺教団の現状に反発。親鸞の教えを教義の根本とし、
阿弥陀仏への絶対帰依によって現世で救われることを
目的とし、1952年に「徹信会」を発会する。
58年、宗教法人格を取得し、「浄土真宗親鸞会」と改称。
79年、浄土真宗本願寺派の紅楳英顕が論文
「現代における異義の研究 - 高森親鸞会の主張と
その問題点」を発表。親鸞会はこれに反発し、
再三にわたり質問状を送り、本願寺派に対する
批判活動が展開される。
84年、上記に関し、紅楳側が誠意を持って答えていない
として、親鸞会会員約1,500人が西本願寺の御影堂に
座り込み抗議を行う。
88年、富山市に隣接する射水郡小杉町(現射水市)に
本部を移転。
関連会社として「1万年堂出版」
「チューリップ企画(アニメ製作)」などがある。

宗祖親鸞聖人の正しい教えを広めることを唯一の目的
として、親鸞、覚如、蓮如の文を根拠にして、
それを説く。
釈迦や親鸞が教えたのは「阿弥陀仏の本願」ただ一つで
あるとし、阿弥陀仏の本願を説く法話を聞くことを
親鸞会では最重要視している。
会では他の真宗宗派、とりわけ浄土真宗本願寺派
(西本願寺)や真宗大谷派(東本願寺)との教義上の
差異を主張しており、本願寺の教えは善の勧めがない
教え、後生の一大事を否定した教えだと批判している。
日本全国や国外で積極的な布教活動を展開しており、
会員はあらゆる年齢層・地域・職業に広がっている。
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94: 名無しさん@おーぷん
2015/05/24(日)01:30:55 ID:jWB
>>92
なんやこのマンガw
信者獲得の為に色々考えてるんや

100: 名無しさん@おーぷん
2015/05/24(日)01:42:12 ID:Ytx
>>94
オウム真理教 布教アニメ 「宿命通」前編

93: 名無しさん@おーぷん
2015/05/24(日)01:29:56 ID:NFG
念佛宗三寶山無量壽寺
(ねんぶつしゅう さんぽうざん むりょうじゅじ)

【創始者】福井真尚(別称:久世太郎,戸倉貞和,圓心定)
【設立年】1979年
【本部所在地】兵庫県加東市上三草
【信者数】5万人
【崇拝対象】阿弥陀如来/観音菩薩/勢至菩薩
【教典】一切経

真言宗の僧侶であった福井真尚が立教。
1979年、宗教法人「無量壽會」として認証される。
さらに92年、宗教法人「念佛宗三寶山無量壽寺」と
教団名を改称し、同時に宗派として開宗した。
単立宗教法人であるため、いかなる宗派の傘下にも
属さず、また、宗派とはみなされないが、一方で、
京都新聞の記事のように、「仏教の一宗派」
とする見方もある。
教団は「日本の仏教第十四宗である」と主張している。
インドのカルカッタに本部を置く国際的仏教団体
「インド大菩提会」のメンバーであり、アジア各地の
仏教指導者が一堂に会する「全世界佛教サミット」の
運営およびスポンサーとして協力している。

宗教法人設立の12年前の「週刊サンケイ(1967年発行)」
によれば、名刺の肩書きに「心霊判断」「運命学」とあり、
いろは四十八文字とサイコロの組み合わせにより
人の運命を予言するサイコロ予言者と紹介した。
感銘を受けた有名人やその夫人たち3000人近くが名を
連ねて「久世先生後援会」を結成、世の中の注目を
浴び一世を風靡したとある。
教団は、「月刊無量壽211号(1997年2月)」において、
「開祖は、迷いの衆生を救う手段として、人々の悩みや
苦しみを、古代より仏教に伝承されてきた賽(サイコロ)に
よって、それを方便として第一歩を踏み出した」
としている。

<教義>
釈尊の教え(仏教)、即ち「仏教経典(一切経)」を
基とし、念仏を依処とする。仏教の目的とは、
智慧の完成(般若波羅蜜)、阿耨多羅三藐三菩提、
無上正等覚、無上正遍智、即ち、「大涅槃」を
目指すことである。
人としての道である「四恩」を大切にし、
私たちは生かされていることを自覚する。

総本山の「佛教之王堂」は、2005年の第4回
全世界佛教サミットにおいて、仏教徒の心の依処たる
佛教之王堂を日本に建立することが決議され、
創建された。
ネット上でも荘厳な建物として有名だが、施設の広大さ
ばかりでなく、装飾や建物、庭など風景1つ1つの
レベルが高い。
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阿含宗(あごんしゅう)

創始者:堤真寿雄(桐山靖雄,"管長"と呼ばれる)
設立年:1978年
本部所在地:京都市山科区北花山大峰町
信者数:34万人
崇拝対象:準胝観世音→真正仏舎利
教典: 阿含経/般若心経 など

桐山靖雄により1978年に創設された仏教系
または密教系の新興宗教。
毎年2月11日、京都・花山で「阿含の星まつり」
という一種の儀式を開催していることでも知られる。

堤 真寿雄は1921年、横浜に生まれる。
1939年、結核性を患い病院に入院した真寿雄は、
精神的安定を求めて宗教書を読み漁り、
自ら考案した瞑想法や養生療法を試す。
終戦後に退院した真寿雄は、弟たちと始めた製粉・
精米のヤミ販売などで利益を上げる。
その後事業に失敗して負債を抱えた真寿雄は、
首吊りを試みるが、そこで目にした「般若心経」
「準胝観音経」などの経典を読み、
死ぬことを思いとどまる。
これがきっかけで観音信仰に励む一方、運命学などを学ぶ。
彼はヤミ販売が検挙され逮捕されるが、それをきっかけに、
一から出直すことを決意し、皇道治教の布教所を設立、
その後「観音慈恵会」を発会する。
さらに母方の姓を取って「桐山靖雄」と名を改める。
1955年に真言宗金剛院派の寺院で得度し僧籍を得たのち、
1967年、観音慈恵会を「大日山金剛華寺観音慈恵会」
と改称する。
更に時が経ち、1978年に「阿含経」を根本経典とする
「阿含宗」を立宗。1981年には教団名を「阿含宗」
と改称する。
1990年、神戸に「メシヤ館」を、翌年には横浜に
「占いの館・シャリーラ」を開設し、主に若者を対象に
して、占星術による占いやカウンセリングを行っている。

スリランカ国などより贈与された
「真正仏舎利(釈迦の遺骨)」を本尊とする。
但しスリランカから拝受された仏舎利の由来書原文には
どこにも真正と書かれていないといれている。
オウム真理教を始め、多くの日本の教団が寄付と
引き換えにスリランカ政府から記念品仏舎利を
拝受している。

阿含宗では、「人間が不幸になる悪因縁は、執着や
執念のために成仏できない"不成仏霊"、そのなかでも
特に怨念の強い"霊障のホトケ"によって引き起こされる」
としている。
教団では、これらの霊障を取り除き、さまざまな
悪因縁から解放され自由自在の境地になるためとして、
「成仏法」「如意宝珠法」「求聞持聡明法」という
三つの実践法を説く。

設立者の桐山靖雄は自身の来歴もあり、非常に
オカルト的な分野も包括した人物とみなされる事が多い。
特に霊力・霊障を中心とした教義や、占星術を基板に
した一部の教典がそのような揶揄の対象に挙げられる。
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真如苑 (しんにょえん)

創始者:伊藤文明(伊藤真乗)/伊藤友司
設立年:1936年
本部所在地:東京都立川市柴崎町
信者数:87万人
崇拝対象:久遠常住釈迦牟尼如来
教典:大乗大般涅槃経

真言宗系または密教系の新宗教。教団は自らの特色として
「出家仏教の修行を基盤とする在家仏教教団」としている。

1906年、伊藤文明(後の真乗)が生まれる。
文明は23歳の時、「大日本易占同志会」に研究生として
入会する。1932年に又従兄弟にあたる内田友司と結婚。
この頃から易による鑑定や人生相談などを始める。
夫婦はキリスト教会にも通った。
妻・友司の祖母は霊能家であり、巷間に多くみられた
「狐憑き落とし」などの除霊を行っていた

1935年に成田山新勝寺との縁があり、
自宅に講中(信徒組織)として「立照閣」を設立。
翌年、伯母から妻の友司が祖母の霊能を受け継いだと
告げられる。同年、文明・友司夫妻は宗教一筋の生活に
入ることを決意する。
(真如苑ではこの日を立教の日としている)
同年の6月、3歳の長男・智文が急死してしまう。
これは設立間もない教団にとっては大事件であり、
夫妻は高尾山にこもって荒行を行い、「長男の死は、
他人の苦の身代わりになった(抜苦代受)」
と結論を導く。
38年、文明は本部の地に「真澄寺」を建立し、
真言宗醍醐派の「立川不動尊教会」を設立する。
同じ頃に、京都にある真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺
三宝院で出家得度し、名前を文明から真乗に改める。
終戦後、立川不動尊教会は醍醐派から離れて独立の
宗教団体となり、48年に名称を「まこと教団」へ
改称する。

まこと教団事件 - 1950年、教団幹部から「修行名目で
リンチを受けた」と告発があり、伊藤真乗は傷害容疑で
逮捕された。56年、東京高裁は真乗に対して、
執行猶予付きの懲役7月の判決を言い渡した。
この事件は「まこと教団事件」と言われ、
マスコミをにぎわせた。
この事件による教団の打撃は大きく、そのためもあって、
52年に「真如苑」と改称し、真乗は管長を辞し教主と
なり、妻・友司が代表役員(苑主)として再出発した。

52年、15歳の次男・友一が、カリエス(結核の二次感染)
で死亡する。
教団は教典を真言密教経典から「大般涅槃経」に転換し、
57年には、真乗が自らの手で身長約5メートルの涅槃像
(寝釈迦像)を彫刻し、これを本尊とした。
67年、妻の友司が急死。69年には真乗の再婚問題を
めぐって伊藤家内に利権争いが生じ、三女・真砂子が
自殺未遂事件を起こし、結果として長女と次女が教団を
離脱する。
83年、三女・真砂子が真聡と改名し、89年の真乗の
死後、苑主となり、四女・真玲がそれを補佐する
体勢で現在に至る。

教義として、釈迦の最後の説法である「大般涅槃経」を
根本の経典とし、この経典に説かれる「一切衆生・
悉有仏性」の経文によって、誰もが仏性を有し霊能を
そなえていると定義し、その霊能を開発し霊位を向上
させることによって「常楽我浄」の歓喜の境涯を
あらわすことができると説く。
教団では"三つの歩み"、「お救(たす)け」(布教・勧誘)、
「歓喜」(寄付)、「奉仕」(活動)を信者に義務付けている。
また、教団は伊藤夫妻の死亡した2人の息子を「両童子」
と呼び崇拝している。長男は死後、母・友司に感応し、
霊能活動に祖先霊との道交を開き、真如接心のもとが
築かれ、両童子が霊界からの働きによって、
信者の苦しみを取り除き代わりに受けると説いている。
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http://world-fusigi.net/archives/7958207.html
http://world-fusigi.net/archives/7962129.html?1432834793
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4880282.html

by huttonde | 2015-05-27 23:37 | 創価・統一・カルト関連 | Comments(0)
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