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淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編 4
淡々と画像を貼るスレ カルト教団・新興宗教編 4

辯天宗(べんてんしゅう)

創始者:大森清子(大森智辯)
設立年:1934年
本部所在地:大阪府茨木市西穂積町
信者数:12万人
崇拝対象:大辯才天女尊(あらゆる神様仏の総体)
 /御本尊(辯才天像)
教典:水の章 など

高野山真言宗の流れを汲み、
仏教系新宗教に分類される宗教法人。
系列の「智辯学園高等学校」、
「智辯学園和歌山高等学校」(通称:智弁)は、
高校野球の強豪として全国的に有名である。

大森清子は1909年、奈良県吉野郡吉野村に生まれる。
彼女は7歳の時、 「二重橋を誰でも渡る時代が来る」
と日本の将来を予言する。
1934年に、智郡野原村の住職である大森智祥の
妻であった清子は、大辯才天女尊より
「水の心を心とせよ 水の心のあるところ辯才天は
常にそなたとともにあって現世苦業を滅するであろう」
という天啓を受け、立教する。
その後48年には夫の大森智祥が管長となって「辯天講」を
結成し、52年「辯天宗」と改称する。
教義を「五行のお諭し」(真の教え)と呼び、
「真心を常に忘るべからず」「慈悲愍みの心を養うべし」
「善根功徳の行を積むべし」「感謝の誠を捧ぐべし」
「不平不満を思うべからず」と説く。
また、水の心について、「水の心とは、低きに流れる
謙譲心、方円の器に従う素直な心、美醜全てを受け入れ
包容する慈悲心、自ら汚れを浄める積極心等に表徴される
真の心であり、御本尊の御心そのものの表象である。
御本尊は、衆生がこのような水の心を心とするとき、
あらゆる福徳を円満に成就せしめ給うのである」
と教える。
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解脱会(げだつかい)

創始者:岡野英蔵(岡野聖憲,"金剛さま"と呼ばれる)
設立年:1929年
本部所在地:東京都新宿区
信者数:18万人
崇拝対象:天神地祇大神/五智如来/解脱金剛
教典:五法則/ご聖訓 など

1881年、岡野英蔵は埼玉県北足立郡の
農家の次男として生まれる。
彼は農業より商業を好み、片手間に賃機の商売や織物業を
営んだ。事業は順調だったが1908年に脱税容疑で摘発
され、多額の借金返済のため実家は没落の一途をたどる。
その後別の仕事を手にした岡野は、仕事ぶりが認められ、
1913年には別の店に引き抜かれるほどになり、
仲間とともに金融会社等を開く。
地元で始まった北本駅開設運動に多額の寄付をするなど、
彼は地元の発展のための援助を熱心に行った。

25年から岡野は高熱を発す病気に罹り、死は間近いと
診断される。ある日、彼は昏睡状態の中「甘茶、甘茶」
と呟き、母が甘茶を飲ませると、その後血の混じった
膿を吐き始め、吐き終える健康が回復した。
この体験により、人心救済の根源的ともいえる力が
甘茶には秘められていると岡野は確信する。
28年頃から、岡野は優れた霊能力の持ち主であると
評判が広がり始め、岡野を訪れる人が増え出し、
そうした人々に甘茶を仏前に供え、
そのお下がりを飲むよう熱心にすすめた。
そんな岡野を妻は理解できず、その後二人は正式に離婚。
1929年、北本宿の天手力男尊を祀る小祠にて
「大神を世に出せ」という啓示を受け、
「解脱会」を発会する。
31年に醍醐寺三宝院にて出家得度。
40年頃からは教義の実践活動に重点をおき、
戦時中における奉献金活動や慰問活動などを行う。
戦後には戦争からの引揚者や被災者、戦争未亡人などに
仕事を与え、当時少なかった衣料品などを製造する
事業を各地で行うよう指導する。

「敬神崇祖・感謝報恩」、「自己反省・自我没却」、
「三綱(国土・父母・社会)・五常(忠・孝・仁・義・礼)」
などを中心として 「御五法」と称した霊符による修業、
天茶(甘茶)供養などを指導し、岡野聖憲が体験してきた
ことなどを教義としている。
他宗教に寛容で、入会しても家の宗旨を変えたり
位牌を改めたりする必要はないとしている。
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中山身語正宗(なかやましんごしょうしゅう)

創始者:木原松太郎(八坂覚恵)
設立年:1921年
本部所在地:佐賀県三養基郡基山町
信者数:31万人
崇拝対象:中山不動尊
教典:御座文

真言宗系の新宗教。
「身言正宗」や「光明念佛身語聖宗」は、創始者である
木原松太郎(木原覚恵)の教えから分派した宗派教団である。
1910年、漁の途中に時化(しけ)に遭い遭難していた
木原は、金比羅大権現に祈り、死にそうなところを
どうにか助かった。
それ以来信仰の世界に入った木原は山奥で滝行などの
修行を行っていた。

1912年、枕元に弘法大師・空海が出現し、木原に向かって、
「釈迦に生まれ遅れること三千年、弘法大師に遅れること
一千年。法然、親鸞に遅れること七百年。この世は非常に
疑い深く、こういえばああいい、ああいえばこういうのだ。
いかに教理経文を朝から晩、晩から朝に説き尽くしても、
朝には信じ夕べにはもう疑うのだ。この末世の衆生を真に
救わんためには、この衆生の切羽詰まった土壇場の願いを
直ちに聞きとどけ、仏智の大功徳を眼の前に授けて
驚かさねば、信じる心にならんのだ。故に現世利益を
もって本願となし、中山不動と世に出ずるぞ」
と言った。
(この日を教団は立教の日にしている)
同年、木原は高野山に入って得度(とくど)し、
覺惠の名を貰う。
21年、「中山身語正宗」を立教する。
1981年からアフリカやモンゴルに対しての寄付を
行っている。
2011年、熊本県の教会において、男性信者の子どもで
ある中学2年の女子に対し、除霊を目的とし「滝行」と
称して手足をベルトなどで縛った状態で顔に水を
浴びせ続け、窒息死させた疑いで
父親と僧侶が逮捕された。

教義として、覚恵上人(木原)が「根本大悲の親様」より
授かったとされる「御座文」を本旨とし、瀧行や巡礼、
念佛を行う。
これらの修行から「おじひ」(身に正しく如来の語)を
感得し、それを通して衆生済度を行うとされる。
教団名の「身語正」とは三密(身・口・意)が一体と
なり、身に正しく如来の語(ことば)を授かるという
意味である。
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肥後修験総本山六水院(真言六字密教総本山六水院)

創始者:下ヨシ子
設立年:2005年
本部所在地:熊本県合志市須屋
信者数:不明
崇拝対象:六字明王
教典:不明(流生命?)

テレビ番組の心霊写真鑑定や浄霊でおなじみの
下ヨシ子が開基した宗教法人。
1952年生まれの下ヨシ子は、
幼いころより予知能力を発揮していたという。
1996年、44歳の時に原因不明の高熱を発し、
六字明王から啓示を受け、霊視能力を開眼させる。
その後 修験真言宗大本山金剛寺で得度(とくど)を受け、
僧侶(真言宗においては最下級の僧侶になると
"阿闍梨"を称する)の地位を得る。
2005年、「真言六字密教総本山六水院
(しんごんろくじみっきょうそうほんざんろくすいいん)」
を開基。

六字明王について、
「六字明王様は1000年に1回、現世に降臨されます。
前回は平安時代末期のこと。そして100年とどまり、
民衆救済のお役目を果たされる」
「世の中が乱れ、民衆が苦しんでいれば必ず手を
差し伸べてくれる神様なのです。どうぞ、
すがってください」

教義である流生命について、
「ある日のこと、羽田から熊本に向かう雲上の飛行機の
中で、突然おびただしい言葉が六字明王様から私に
降りてきました。私はあわてて連れの者に書き留めて
もらい、それらを"流生命"という本にまとめたのです。
したがって流生命は「占い」ではなく、霊視による
予知とお考えください。私を通じて伝えられる
六字明王様のお言葉なのです」
「神様が定めた道"流生命"に沿って生きることが、
幸せの源です。その道を踏み外すと、成仏していない
未成仏霊、先祖霊、水子霊、さらにマイナスエネルギー
に満ちた邪気などに取り憑かれ、人生の流れは
たちまちのうちに暗転します。人の命は、天界地界の
自然の中で定められています。生まれるのも死ぬのも、
すべては神様のはからいです。その流れにさからえない
ことを、肝に銘じていただきたいと思います」
と教えている。

霊能力について
1998年、「奇跡体験!アンビリバボー」に出演、
競馬の結果を予知したと称している。
また、2000年、岐阜県富加町の幽霊住宅では、
他の霊媒師たちが本物でなかったり力が弱かったりして
浄霊できないなかで、下ヨシ子は浄霊に成功したと
称している。
一方で、浄霊後もこの町営住宅での怪現象は
継続しているという報告も複数存在する。
2010年、名古屋市の主婦が、2002年から2008年までの
間に「浄霊代」の名目で肥後修験遍照院から約530万円を
騙し取られたとして、同院と下ヨシ子らを相手取り、
約950万円の損害賠償を求め、訴訟を起こした。
(2013年に第一審の判決が確定した。)
アンビリバボーの他にも、「ほんとにあった怖い話」
「オレたちお笑い心霊団」「HEY!HEY!HEY!」
「魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル」などの番組に
出演している。
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108: 名無しさん@おーぷん
2015/05/24(日)02:01:20 ID:yRS
>>104
この教祖の息子と同じ学校やったわ
親父はカタギじゃなかったけど今はどうなのかな
息子は俳優になったけど末期がんで
死に掛けているとか何とか
学校ではむちゃくちゃやっていたから因果応報や

106: 名無しさん@おーぷん
2015/05/24(日)01:53:44 ID:NFG
細木教

創始者:細木数子
設立年:1980年代/90年代/00年代
本部所在地:不明
信者数:不明
崇拝対象:不明
教典:不明

細木数子(1938 - )は、日本の作家・タレント・占術家。
テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家
などと称する場合もある。かつては実業家でもあった。
細木は、京都に本社がある久保田家石材商店(現:亘徳)
の社長、久保田茂麻呂と出逢い、新宗教の「大国教会」
で宗教学を学び、新宗教の細木教を設立したとされる。
細木教は宗教活動遂行のための、財産の管理と運営の
主体とした、寺院・神社、・会などを備えていない
「単立宗教法人」で、宗教法人の認可申請中だと
いわれている。
細木数子本人の身の上はWikiなどのページに詳細が
あるので参考にしていただきたいが、
「公共の電波で宗教の勧誘」「ミス渋谷だったのは
本当だが複数の暴力団の娼婦だった」「脱税をしている」
「六星占術はパクリ」「詐欺師」「墓石を暴利で売る」
「暴力団に数億を渡して口封じをはかる」
「北朝鮮に賠償を支払うよう命じる」「霊感商法」
などといった批判が目立つ。
また、「細木数子」のページでは、的中しなかった
占いの数が的中した数の3倍を超えているが、
30%で当たるというのなら凄いことかもしれない。
(殆どが芸能人の結婚等の占いなので
ウラを掴めるかもしれないが)
ちなみに結果待ちの占いもある。
「自分(細木数子)は250歳まで生きる」
「2030年に日本人がみな難民になり住む場所がなくなる」
劇団ひとり(芸人)は「心臓病で40歳までに死ぬ」
「40歳の7月(2017年)に葬式」
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幸福の科学(Happy Science,HS) その1

創始者:中川隆(大川隆法)
設立年:1986年
本部所在地:東京都品川区
信者数:1000万人~1200万人
崇拝対象:エル・カンターレ
 (霊天上界に存在する至高神=大川隆法)
教典:仏説・正心法語 など

日本発祥の宗教団体。世界120か国に会員組織がある。
世界基準で「Happy Science」という名称を
使用している。
「幸福実現党」の最大母体でもある。
歴史上の人物や政治家、著名人などの霊言を含む
多数の「出版物」による布教スタイルが特徴。
91年頃から実施された大規模な広告キャンペーン
(1ヶ月半で20億円)や、写真週刊誌「フライデー」の
記事に虚偽の内容があるとして出版元の講談社などへ
実施した抗議行動で広く知られるようになった。
信者数は1100万人と公称しているが、
「信者の家族や友人の友人など教義に触れたものまで
信者扱いする」とする批判の声もある。

創始者の中川隆(後の大川隆法)は、1956年、
徳島県吉野川市で、教団の名誉顧問である父・
善川三朗(下記参照)と、教団の名誉秘書長である
母・中川君子の次男として生まれる。



小学生の頃、高熱を出し寝ていた時に、幽体離脱を
何度もして、天国から地獄の阿鼻叫喚地獄までを
見てきたという。
大学は一浪して東京大学法学部に進学。
大学2年の頃に初恋を経験し、ラブレターを書きまくり
小包にして送った。これが半年ほど続いたが、
やっと届いた返事が便箋1枚で、落胆したという。
卒業が近づき、一留し司法試験を受けたが論文試験で
不合格。国家公務員上級試験も受けたがこれも
うまくいかず、81年に総合商社トーメン
(現:豊田通商)に就職する。
同年、中川に突然、無意識に手が動いて文字を書く
「自動書記」が起こり、紙にカタカナで
「イイシラセ イイシラセ」から始まるいくつかの
事柄を書き連ねた。
後年、中川は「このメッセージを送ってきたのは、
日興上人だった」と述べ、またこの啓示によって
「大悟(だいご)し、人類救済の大いなる使命を
自覚した」と説明している。
商社に在職しながら1985年に初の書籍である
「日蓮聖人の霊言」を刊行。
86年に退社後、具体的な団体設立の計画に着手。
同年10月に、東京都杉並区の木造アパートに事務所を
開いて「幸福の科学」を設立した。
この幸福の科学の名称の由来は、日蓮から
「これは宗教ではなく、幸福の哲学であり、
幸福の科学なのだ」と霊言されたからだという。
88年、東大を卒業したばかりの木村恭子
(大川きょう子,下記参照)と結婚した。
91年、教団は宗教法人の認可を受け、同年7月、
隆法は東京ドームで「御生誕祭」を行い、
「自分こそ大乗の仏陀(ぶっだ)、
"エル・カンターレ"である」と宣言した。
この御生誕祭と前後して、週刊誌等に大川隆法批判が
繰り返し報道されたため、同年秋に教団信者の著名人
(作家・女優など)を中心とする会員3000名が
「被害者の会」を組織し、出版社に対して
抗議行動やマスコミ批判を行った。
しかしこの行動が逆にマスコミから反発を買い、
大きな社会問題に発展する。

父・善川三朗について
教団の名誉顧問である善川三朗(本名:中川忠義)は、
1921年に生まれる。
善川は若いころから宗教に対して関心があり、
矢内原忠雄(東大総長で、幸福の科学では
「ペテロの再出」と位置づけられている)の指導する
無教会派でキリスト教を学び、「生長の家」創始者で
ある谷口雅春の指導も受けたことがあるという。
さらに1976年には「GLA総合本部(God Light Association)」
に入会し、高橋信次の教えを受ける。
その一方、日本共産党の徳島県委員会で
活動していた時期もあった。
善川の前世は日蓮の弟子である「日朗」や、
「善無畏三蔵」であると教団では教えられている。
息子の中川隆と共に幸福の科学を立教し活動
していたが、2003年に他界。
母・中川君子は理容業を営むかたわら、
霊媒師としても活動していた。
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妻・大川きょう子について
大川の妻であった大川きょう子(旧姓:木村恭子)は、
1965年、秋田県由利本荘市に地元の開業医の娘として
生まれる。
東京大学文学部に進学。大学生の頃、
幸福の科学秋期研修の参加をきっかけとして
霊道を開き、彼女の守護霊から結婚の相手が
中川隆(大川隆法)であることを告げらる。
中川も同じ事(恭子と結婚する)を指導霊から言われ、
1回目のデートできょう子と隆法は婚約した。
その後三男二女をもうける。
きょう子は副総裁、総裁補佐、アフロディーテ会会長、
名誉立宗補佐、名誉相談役、幸福実現党2代党首を経て、
その後教団から永久追放されている。
処分の理由としては、「三宝帰依違反、和合僧破壊の罪、
在職中における教団に対する多大の人的・経営的損失の
責任、複数の週刊誌を用いた教団に対する様々の
名誉毀損・虚偽の風説の流布行為、数々の言葉で
神聖なる信仰の対象 主エル・カンターレを汚した行為、
霊言・霊示への愚ろう行為、神聖な霊言に名誉毀損なる
言いがかりをつけた行為、教団財産の詐取を企図した
行為等による」と発表されている。

以前は、大川きょう子の前世は「ナイチンゲール」
「文殊菩薩」「アフロディーテ」であると教団では
説かれていたが、現在は聖書に出てくる
「ユダ(裏切り者」)とされている。
きょう子は2011年、教団と夫に対し、名誉毀損で
1億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
なお、東京家裁に対して離婚調停も起こしていた。
追放の原因は「夫の女癖の悪さ(常時6~7人の愛人を
囲う)に妻が呆れたこと」や「妻の亭主いびりと幹部に
対する罵倒等のいじめ」であるとする説もある。
大川隆法は2012年、29歳年下で教団職員の
近藤紫央(現:大川紫央,総裁補佐)と再婚。

幸福の科学では、「エル・カンターレ」を自称する
大川隆法を信仰の対象としている。
エル・カンターレとは「地球系霊団の最高大霊」、
仏教で説く「久遠実成の仏陀や法身仏と呼ばれる存在、
神々の師である釈迦大如来」を意味するとし、
それが地上に大川隆法として現れたと主張している。
さらにインドの釈尊などはエル・カンターレの
「意識の一部分」であり、大川隆法は本体意識で
あるとしている。本尊は大川隆法の写真であり、
信者たちはこれを祀って拝む。

根本教典は、大川隆法が啓示を受けて自動書記したと
されている「仏説・正心法語」。
その他、「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」の
三部作や、「釈迦の本心」「真説八正道」「仏陀再誕」
など数百冊の出版物を教義の基本書としている。
また、大川隆法は「日蓮」「高橋信次(GLA創始者)」
「空海」「キリスト」「天照大神」「ソクラテス」
「釈尊」「孔子」「モーセ」「親鸞」「ノストラダムス」
「ニュートン」「道元」「出口王仁三郎(大本教創始者)」
「日蓮大聖人」などから霊言を聞いたとして、
霊言集を順次出版している。
父・善川三朗が関わっていた「GLA総合本部」や
「生長の家」の信者からも入会者が多く、GLAの
高橋信次の霊言集は16回、生長の家の谷口雅春の
霊言集は4回発刊されている。
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教義としては次のようなものが挙げられる
・二十次元論(20次元論)
一般的な「線の一次元、平面の二次元、立体の三次元」
という数学的概念に、独自に「精神」「真理意識」
「菩薩界」「慈悲」などを足して「大宇宙の根本仏は
二十次元以上の存在である」というもの。
・四正道
教団は「正しき心の探究をしていくところに、
この世とあの世を貫く幸福が実現する」といい、
「四正道(愛・知・反省・発展の探求)」が
その具体的な方法であると教えている。
・エル・カンターレ・ファイト
 /エル・カンターレ・ヒーリング
教団の正会員になると、「エル・カンターレ・ファイト」
と呼ばれる悪霊撃退の修法と、
「エル・カンターレ・ヒーリング」
という病気癒しの修法を執り行うことができる。
ヒーリングの場合、相手に向かって合掌した後、
手を横に開いて頭の上に組んでから胸の前に突きだして
「エル・カンターレ・ヒーリング」と叫ぶ。

教義の内容を編纂して、書籍や月刊「ザ・リバティ」等の
雑誌(幸福の科学出版より発行)、経典、CD、DVD、
ビデオ、劇場用映画、布教誌「ザ・伝道」などを
刊行している。
幸福の科学出版は、映画「ノストラダムス 戦慄の啓示」
「ファイナル・ジャッジメント」と、アニメ映画
「仏陀再誕」「ヘルメス 愛は風の如く」「太陽の法」
「黄金の法」「永遠の法」「神秘の法」を制作。
すべての映画の原作・製作総指揮は大川隆法、
音楽は水澤有一である。
アニメ映画では、大川隆法の前世や彼をモチーフとした
人物及びエル・カンターレ役を子安武人が演じており、
他、伊藤美紀、銀河万丈などの有名声優が教団の
映画に出演した。

政治団体の幸福実現党(Happiness Realization Party,HRP)
は、2009年に結成され、同年の第45回衆議院議員総選挙で
300小選挙区と11の比例区全てに候補者を擁立する方針を
表明。337名の候補者を擁立したが、立候補者全員が
落選した。
5度の国政選挙と全国各地の地方選挙に公認候補者を
擁立しているが、選挙で国会議員を排出するに至って
いない。ただ、2010年5月から12月まで参議院議員の
大江康弘が入党しており、その間は国会に議席を
確保していた実績を持つ。
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オウム真理教 

創始者:松本智津夫(麻原彰晃,グル,尊師)
設立年:1987年
本部所在地: 山梨県上九一色村/東京都港区南青山
信者数:1万人(+ロシアに3万5000人)
崇拝対象:シヴァ大神
教典:マハーヤーナ・スートラ
 /原始仏教講義/ヨーガ経典

かつて存在した麻原彰晃を開祖とする仏教系
/原始仏教系/チベット仏教系の新興宗教団体。
「オウム(AUM)」とは、サンスクリットの呪文
「?」のことである。
1996年に宗教法人としての法人格を失ったが、
活動を継続。2000年に破産に伴い消滅した。
同時に、新たな宗教団体「アレフ」が設立(下記参照)
され、教義や信者の一部が引き継がれた。

1955年、松本智津夫(麻原彰晃)は熊本県に生まれる。
生まれつき左目が見えず、右目も弱視だった智津夫は、
鍼灸師(しんきゅうし)の資格を取り、22歳の時に上京。
鍼灸のアルバイトをしながら予備校に通い、東大を経て
政治家になることを夢見ていたが、受験に失敗する。
78年、23歳の時に石井知子と結婚し、
千葉県で鍼灸院と薬局を開設。
この頃から松本は、運命学(気学・四柱推命)を学び、
その後は神仙術である仙道に凝り、また「GLA総合本部」
の高橋信次の著作などを読む。
81年、松本は健康食品と漢方薬を扱う「BNA薬局」を
開業したが、翌年にミカンの皮を使った偽物の薬を
販売したことで薬事法違反で逮捕され、
20万円の罰金刑を受ける。
この頃に「クンダリニー覚醒」というヨーガの独自の
修法により神秘の力に接する体験をする。
当時、松本は桐山靖雄の「阿含宗」に入信したが、
85年に脱会する。
84年、松本は、東京都渋谷区にヨーガの教室
「オウムの会」を開く。
同年5月、「株式会社オウム」を設立。
86年、「オウム神仙の会」と改称する。この頃、
オカルト系雑誌の「月刊ムー」「トワイライトゾーン」
が、このオウムの会を日本のヨガ団体として取材、
写真付きの記事を掲載していた。
この写真は「座禅を組んだまま跳躍する」もので、
後に教団が言う「ダルドリー・シッディ
(空中浮揚の原型)」とされる。
また、「天から降りてきたシヴァ神から、
シャンバラ(理想郷)王国を築けと啓示を受けた」
などとも言い始める。

当時、松本家一家は千葉県船橋市に住み、
貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。
この家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ、
棚には仏像が置かれていた。麻原は日に1度は
瞑想室にこもり修行をしていた。
棚の前にはちゃぶ台があり、
麻原はそれを祭壇と呼んでいた。
「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」
というのが麻原の口癖だった。教団が大きくなって
からも、麻原はそれを祭壇として使っていた。
86年頃には麻原が世田谷区の道場に住み込むようになり、
ほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると
3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、
姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。
妻の松本知子は、麻原が滅多に帰宅しないことから
精神不安定であり、麻原に向かってなじる様ないさかいが
あったが、麻原はほとんど抵抗しなかった。
3女の目には知子が麻原の宗教を信じているようには
見えなかったが、知子は麻原の著書の代筆を深夜まで
行っていた。
当時、麻原は家族とともに発展途上国を中心によく
旅行をしたが、子供に向かっては「世界には食べ物を
食べられない子も、屋根のあるところに住めない子も
いるんだ。食べ物を粗末にするのはやめようね」
などと諭してりしていた。

オウム神仙の会で麻原は「インド・ヒマラヤ山で修行中、
最終解脱者(げだつしゃ)となり、超能力を身につけた」
と言い、「世界で一番安全で、世界で一番確実で、
宇宙で一番スピーディーな超能力開発法」
などのキャッチフレーズで若者を急速に取り込んでいった。
また、麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である
「シヴァ神」あるいはチベット密教の怒りの神
「マハーカーラ」の化身だとも説いた。
本部を世田谷に移転した麻原は、それを機に「出家制度」
を採用し、弟子たちに厳しい修行を課すようになり、
組織自体も従来のサークル的なものから閉鎖的なものに
変質していく。
87年、オウム神仙の会を改称し、宗教団体「オウム真理教」
を設立する。また、静岡県富士宮市に総合本部道場を開設。
「真理教」は「天理教」にちなんだもので、命名には
京都の私立探偵「目川重治」が関わっているされている。
麻原はチベット亡命政府の日本代表であったペマ・
ギャルポと接触し、その助力によって、87年2月ならびに
88年7月、ダライ・ラマ14世とインドで会談した。
麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、
オウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した。
同年、富士山総本部に来ていた在家信者が修行中に死亡。
遺体は護摩壇で焼かれた上、上九一色村の精進湖へ
遺棄された。(「在家信者死亡事件」)
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この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、
「もう死のうかな」などと洩らすようになる。
3女は、麻原には解脱者が多くなりオウム真理教が
世界宗教へと変貌し救済ができるとの真剣な思いが
あったが、弟子の修業が思うように進まず、人間界が
救われないという否定的な認識が芽生えたと見ている。
89年、宗教法人としての認可を得た後、日本全国各地に
支部や道場を設置。ロシアやスリランカなど海外にも
支部を置いていた。ロシアでは優秀な演奏者を集め
「キーレーン」という専属オーケストラを所有、
布教に利用した。
同年、教団最初の殺人事件、「男性信者殺害事件」発生。
同年、「坂本堤弁護士一家殺害事件」発生。
1990年には「真理党」を結成して第39回衆議院議員
総選挙へ麻原と信者24人が集団立候補する。
信者が麻原のお面やガネーシャの帽子をかぶり、
「彰晃マーチ」など教祖の歌を歌うといった派手な
パフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、
修行の様子なども雑誌やテレビで報道され、
徐々に知名度が上がっていく。
選挙は全員落選し、最も得票の多かった麻原でさえ
1783票であり、惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」
と発言し、「国家権力により弾圧を受けている。
これからは武力で行く」と説いていた。
この選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層
高めたとされる。
同年、「日本シャンバラ化計画」(「聖なる空間」を
広げることによって「聖なる人々」を育む)を実行すべく
熊本県波野村に進出するが、地元住民の激しい反対運動に
会い、国土利用計画法違反事件で強制捜査を受ける。
結局波野村はオウムが5000万円で手に入れた土地を
9億2000万円で買い戻すことで合意。
オウムの大きな資金源となる。
こうした一連の動きが、オウム真理教の被害者意識を
高めたという指摘が多い。

教団は1991年を「救済元年」とし、マスメディアを
中心とした教団活動を活発化させた。麻原が盛んに
テレビ・ラジオ番組に露出し、雑誌の取材を受けたり
著名人との対談などを行った。
93年、漫画家の小林よしのり、幸福の科学総裁の
大川隆法、衆議院議員の小沢一郎・細川護熙、
タレントのデーブ・スペクターなどの暗殺を計画するも
失敗。
同年、「オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件」発生。
遺体は幹部らによって遺棄される。
同年、山梨県上九一色村の「第7サティアン」において、
サリンプラントを建設を開始。
同年、「池田大作サリン襲撃未遂事件」発生。

1994年と1995年には特に多くの凶悪事件を起こす。
94年、
「薬剤師リンチ殺人事件」
「宮崎県旅館経営者営利略取事件」
「滝本弁護士サリン襲撃事件」「松本サリン事件」
「オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件」
「50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件」
「江川紹子ホスゲン襲撃事件」
「駐車場経営者VX襲撃事件」
「ピアニスト監禁事件」「会社員VX殺害事件」
95年、
「被害者の会会長VX襲撃事件」
「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」
「地下鉄サリン事件」「村井秀夫刺殺事件」
「東京都庁小包爆弾事件」
また、94年~95年にかけて旧ソ連製のAK-74を密造する
(「自動小銃密造事件」)。

当時のオウムでは布施の強化が図られ、
いったんは脱会した信者に対しても接触が強まり、
ハルマゲドン思想などを説くようになる。
LSD(非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤)を使った
「イニシエーション」(費用100万円)を出家信者の
すべてが受けさせられた。
LSDによるイニシエーションは麻原自身も試している。
サティアンには独房が造られ、教団に対し疑問を持つ
信者に対しては独房に閉じ込め、一日中、麻原の
説法テープを聞かせ、暴れたり精神状態が
おかしくなる者も続出した。
実家へ帰ろうとした信者が数人がかりで押さえ込まれ
独房に入れられる行為も日常茶飯となった。
「信徒用決意」という書類が作られ、そこには信者が
行うべき行動指針が記されたが、財産を教団に収める
布施が強調されるようになった。
麻原は、「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」
「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」
「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」などの
激しい言葉で強引に金を集めるよう命じた。
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 https://youtu.be/YZEXOhpLd2E
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林郁夫によって開発された儀式「ナルコ」は、
「チオペンタール」(アメリカでは薬物による死刑執行時に
意識を無くす薬物として使われる催眠薬)を使い、意識が
朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、
麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると
林にナルコの実施を命じた。
また、信者達の行動を監視するよう命じ、信者が自分の
仕事の内容を他の信者へ話すことを禁じ、信者同士が
互いに監視しあい、密告するよう求めた。
林は信者に「ニューナルコ」と呼ばれる薬物を併用した
電気ショック療法を使い始め、拉致してきた女性に
チオペンタールを使い「あなたはどうしてここにいるのか」
と聞くと「拉致されてきた」と答えたため、
開発した電気ショック機器で100Vの電気ショックを
与えている。この際には3度目の電気ショックで効果が
「確認」され、女性は「分からない」と答えた。
麻原は妻・知子の他にも、「石井久子」
「タントラギーター」「スメーダー」
「イシュタ・ヴァジリニー」
「マハームドラー・ダーキニー」(それぞれ本名不明)
などの愛人がいた。
4女の著書によれば、教団内に愛人は約100人おり、
夜毎尊師の部屋には彼女たちが入れ替わり立ち代り
呼ばれたが、その際に妻の松本知子は部屋の前で
落ち着きなくうろうろしていた。女性信者を誘う際
「今度、特別なイニシエーションがあるから」
と称していた。
麻原は知子との6人の子の他に、
9人の子を作ったとされている。

95年、警視庁は全国教団施設の一斉捜査を決めた。
しかし事前に捜査の情報を入手したオウム幹部は警察の
目を逸らすため、東京で大事件を起こすことを計画、
「地下鉄サリン事件」を実行する。
事件の2日後には、上九一色村の教団本部施設へ一斉捜索が
行なわれ、サリン等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備、
散布のためのヘリコプター等が見つかり、オウム真理教の
実態が明らかになった。
以降、幹部クラスの信者が続々と逮捕され、
95年5月には麻原が教団施設で逮捕される。
2000年、教団は破産管財人からオウム真理教の名称の
使用を禁止されたため、上祐史浩を代表として宗教団体
「アレフ」へと名称変更する。

<教義>
オウム真理教の教義は、「原始ヨーガ」「原始仏教」を
根本とし、「パーリ仏典」を土台に、「チベット密教」や
「インド・ヨーガの技法」を取り入れている。
「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・
仏教的宇宙観の一部に含まれると説く。
例えばキリスト教の創造主としての神は
「神聖天」とされる。
オウム真理教の中では「儒教」「道教」「キリスト教」
「ゾロアスター教」などありとあらゆる宗教・神秘思想を
包含する「真理」を追求するという方針がとられた。

オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が
挙げられており、「実践宗教」であることが
強調されている。
・最終地点まで導く
「グル(霊的指導者=麻原彰晃)」の存在
・無常に基づく正しい教義
・その教義を実体験できる修行法
・その教義を実際に実践して修行を進めている
 先達の修行者の存在
・修行を進めるためのイニシエーションの存在

オウム真理教では、修行による苦悩からの解放を説き、
無常である欲望・煩悩から物理的に超越することを
「解脱(げだつ)」、精神的に超越することを「悟り」
と呼ぶ。
「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」
という、仏教の無常観に即した麻原の言葉に象徴される。
逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が
「ニルヴァーナ(涅槃,煩悩破壊)」である。
また、そこに留まることなく、更に全ての魂を苦悩から
解放し、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導く
ことによって、自身も絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の
「マハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)」あるいは
マハーボーディニルヴァーナ「(大到達真智完全煩悩破壊)」
へと至る。ちなみに、仏教では煩悩は破壊出来ない。

オウム関連でよく目にする「ポア」という言葉は、
ヨーガの用語で「意識を高い世界へと移し替えること」
と定義されていた。
死の際の意識の移し替えが狭義のポアとなるが、転じて
「積極的に(実際に)死をもたらし、より高位の世界へ
意識を移し替え転生させる」ということもポアと呼ばれ、
これが「「ポアなる言葉の下に殺戮を正当化する」
と検察側が主張する根拠となっている。

麻原は自らの出版物を通して、多くの前世を持つと
以下のものを称していた。
「徳川家光」「意識堕落天(阿修羅界)の宗教上の王」
「チベットのタントラ修行者」「有能神」
「ナーガ(蛇神)の国の王」「欲界の王」「夜摩天の王」
「光音天の魂」「神聖天界の王」「除冷淡天の王」
「カッサパ仏の弟子」など
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http://world-fusigi.net/archives/7958207.html
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http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4880282.html

by huttonde | 2015-05-27 23:39 | 創価・統一・カルト関連 | Comments(0)
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