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やっぱり付け足しシリーズ 734
10/04 大震災2011◆ ②誰が一番クソだったか

404 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 16:06:24.15 ID:R5FeGXKO0 [1/2]
検証・大震災:中央官庁 霞が関、柔軟さ足りず
- 毎日jp(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/verification/news/20111002ddm010040055000c.html

>>1 より詳しい物流から仮設住宅、瓦礫処理までの検証

東日本大震災で中央官庁は何ができ、またできなかったのか。
道路、救援物資、燃料、仮設住宅、がれき処理。

震災直後から被災者の生活に深くかかわる
五つの課題を検証する。(肩書はすべて当時)

【画像詳細はこちら】
 ◆道路

◇考えられることをすべてやってくれ
初動迅速「くしの歯作戦」

3月11日午後3時20分過ぎ、
岩手県宮古市にある国土交通省の宮古維持出張所。

市役所前のカメラがとらえた巨大津波がモニター画面に
映し出された。防潮堤を越えて車や船を押し流していく。

鈴木之(いたる)所長は現実かどうかも分からぬまま、
上部組織の三陸国道事務所に連絡を入れようとした。
だが光ケーブルの専用線まで断たれ、孤立状態に陥っていた。

危険な道を通行止めにしたが、津波が来たことを知らない住民が
「なんで止めるんだ」と不審がる。
モニターの画像をデジタルカメラで撮影してプリントし、
ドライバーに1人ずつ配って知らせた。

午後10時、パトロールに出たまま連絡が取れなくなっていた
職員が戻ってきた。同市田老地区の写真を見せられた。
「建物の形がない。空爆を受けたみたいだ」

夜が明けるのを待ち、迂回しながら5キロ離れた
三陸国道事務所にたどり着いた。
事務所長に「道路啓開をやれないか」と言われた。
初めて聞く言葉だった。

災害マニュアルにないその言葉は、がれきに埋もれた道路を
重機で切り開き、救援ルートを確保することを意味する。
発生直後のテレビ会議で大畠章宏国交相から「考えられることを
すべてやってくれ」と全権委任された徳山日出男・東北地方
整備局長が、各国道事務所に指示していた。

東北地方を南北に走る国道4号を縦軸として、そこから沿岸の
主要都市につながる15本の横軸を通行可能にする。
徳山局長は「くしの歯作戦」と名付けた。
人命救助のタイムリミットは72時間だ。

鈴木所長はためらった。
「大きな余震のたびに大津波警報が発令されているというのに、
作業を引き受けてくれる業者があるのか」。

宮古市内は市役所のある中心部から県立宮古病院までの
6キロのうち、800メートルががれきで埋まっている。
「このままでは助かる命も助からない」と焦った。

災害に備えて付き合ってきた地元の建設業者に協力を求めた。
ちゅうちょする業者もあったが「誰かがやらなければ。
警報が出たら一緒にすぐ逃げよう」と説得した。

路上にはまだ形をとどめている家もある。
中に入って手がかりを見つけては家主と連絡を取り、
了承を得てから壊す。
遺体が出てくるたびに作業を止めた。

市役所と病院を結ぶ道は12日夜までに開いた。
「次は被害の大きい田老だ」。
協力を申し出る業者は続々と増えていった。

くしの歯作戦には52のチームを投入、
予定した15本の道は15日までの4日間で開かれた。
被災地に真っ先に入った職員たちに、
徳山局長はもうひとつの任務を託していた。
「首長の片腕になれ」

それは「リエゾン(連絡役)」と呼ばれた。
多くの職員を失い通信手段も奪われた沿岸市町村幹部に
衛星電話を渡し、どんな物資が必要かを聞き取る。

要望は多岐にわたった。
燃料、チェーンソー、仮設トイレ、パソコン……。
南三陸町から要請されたのは遺体の土葬に必要な収納袋。

町役場が流された同町や大槌町には「庁舎が欲しい」
と頼まれ、プレハブ小屋も建てた。

リエゾン班を束ねた池口正晃企画調整官は切実な要望を
聞くたびに「できません」とは言えなかった。
「自分たちは懸命に仕事をしている。でも大きな災害の中で、
どれだけ役に立てているのか」。
自問しながら走り続けた。

◆救援物資

◇どの倉庫を空けるか、決めておかなければ
集積所、満杯パニック

津波で壊滅した幹線道路を開く作業が続くなか、
霞が関では救援物資を届ける動きが始まっていた。

首相官邸の会議室。臨時電話がひっきりなしに鳴り響く。
11日、緊急災害対策本部に救援物資調達の拠点が設置され、
各省庁から約30人が集められた。

水や食料は農林水産、日用品と燃料は経済産業、
医薬品は厚生労働省が各業界から集める。
それを国土交通省の依頼を受けた運送業者や自衛隊が輸送する。

災害救助法で物資調達は自治体が自助努力で行うと
定めているが、今回は国が担った。

避難所になった宮城県石巻市の市立湊小は1階が水没し、
上の階で被災者が物資を待っていた。
乳児のいる母親は粉ミルクを溶かす水がない。

教員が濁った水に潜り、
1階に備蓄していたペットボトルを探してきた。
避難者数は1000人を超え、15日におにぎりがようやく届く。

責任者を務めた市議の庄司滋明さんは「2人で一つを分けて
ください」と呼びかけながら思った。
「国はきっと分かっている。もう少しの辛抱だ」

「被災者に物資が届いていない」。
14日、災害対策本部を通すのにもどかしさを感じた
鹿野道彦農相は北沢俊美防衛相に「自衛隊でもっと多くの
食料を運んでほしい」と頼み込む。

国交省が業者に手配したトラックは道路の寸断や渋滞で
時間がかかってしまう。
輸送量も限られる。
水や毛布を備蓄している自治体や企業も輸送手段に困っていた。

同日夕、北沢防衛相は「自衛隊が中心となって全国から
救援物資を送り込む」と4人の幕僚長を集め、
物流の仕組み作りを指示した。

「膨大な物資を集めて末端まで届けるなんて経験がない」。
幹部たちは悩んだ。

統合幕僚監部の後方補給官、加治屋裕一1等陸佐は思いつく。
「知事会と連携し、
陸自の物流ネットワークを活用するしかない」

自治体や企業は物資の種類や量を都道府県に連絡し、
自衛隊が指定した駐屯地や基地へ運び込む。
空自松島基地(宮城県)などへ空輸し、
陸自のトラックで各地の集積場へ届けることにした。
16日夜には第1便が福岡県の空自基地から花巻空港へ飛んだ。

現地では、届いた物資が県や市町村の集積所で滞っていた。
宮城県は集積所に予定していた場所が津波で流されたり
遺体安置所に使われ、合同庁舎の狭い駐車場などに物資を
運び込んだが、数日であふれた。

国交省で物流を担当した尾関良夫参事官は現地の情報を集める
うちに「これはパニック状態だ」と気づく。
時間とともに被災地のニーズは変わっていくが、
もう十分な水や毛布が大量に届き続けて集積所が満杯になる。

今必要なものとの区別がつかず、運び出すのが遅れていた。

国交省は3月下旬から、物流のプロである日通やヤマト運輸の
社員を現地に派遣する。頻繁に届ける物は出しやすいよう
倉庫の入り口側に置き、在庫をデータベース化した。

必要のなくなった宮城県の水や毛布は空いていた岩手県の
倉庫を借りて移動し、宮城県のスペースを確保した。
避難所の物資不足は少しずつ改善されていく。

尾関参事官は痛感した。
「災害時にどこの倉庫を空けてもらうか、前もって決めて
おかなければ。東海、東南海、南海地震でも必要になる」

一方、仙台市にある厚労省東北厚生局は、
病院や避難所への医薬品調達に追われた。

「災害時に厚生局が担う役割は、特に決められていなかった」
と石井博史局長は言う。震災後3日間は停電が続き、
本省とつながる電話はわずか1本。衛星電話もない。

阪神大震災を教訓に、厚労省は医薬品等供給マニュアルを策定し、
都道府県で供給体制を築くよう求めてきた。
宮城県では名取市役所近くの集積所に十分な量が保管されていた。
庁内には医薬品卸会社の従業員が常駐し、病院からSOSが
入ると集積所に連絡し、車で届ける仕組みだった。

しかし医薬品の仕分けは専門家でなければできない。
薬剤師や医師を確保するのに時間がかかった。
さらに、ガソリンが足りず隅々まで届けることが
難しくなっていた。

「油がない。官邸に伝えてくれ」。
石井局長は同期の社会・援護局長に電話で訴えた。

医薬品を運搬する車両は緊急車両として優先的に給油を
受けられるとの通知が出ていたが、混乱する被災地では
ガソリンスタンドに浸透していなかった。

大塚耕平副厚労相は19日、経産省や内閣府と調整し、
厚労省のロゴに丸囲みで「薬 緊急医薬品輸送中」と書かれた
マークを示せば満タン給油できる仕組みができた。
卸関係者にマークが届けられたのは翌20日のことだった。

ガソリン不足は物資輸送に後々まで響いた。

◆燃料

◇目標到達に1カ月

「2、3日後にはしっかり動き出す形にしなければいけない」。
3月17日の記者会見で被災地へタンクローリー300台を
追加投入すると表明した海江田万里経済産業相は、
燃料不足解消のめどを問われ答えた。

しかしシナリオ通りにはいかなかった。

陸路でのピストン輸送には限界があり、太平洋側の油槽所に
タンカーで大量に運び込む必要に迫られていた。
最も被害の少ない油槽所が宮城県・塩釜港にあった。

宮城県庁の現地対策本部にいた市村浩一郎・国土交通政務官は
村井嘉浩宮城県知事から「塩釜港にタンカーを入れてほしい」
との電話を受け、国交省港湾局に「海上保安庁と協力して
開けてくれ」と伝えた。

国交省は物資輸送の拠点として仙台港などの復旧を急いでおり、
塩釜港は復旧作業の優先順位が低いことが分かった。

港湾局は海洋土木建設会社の特殊な船をかき集め、塩釜港でも
海底のがれきや浮遊物をできる限り撤去した。

だが、座礁の可能性は残る。
「沈没でもしたら、油が大量に流出してしまう」。

国交省幹部らが見守るなか、海上保安庁の船に先導され
名古屋港からタンカーが接岸した。21日午前だった。

それでも供給は滞る。
経産省の内部資料によると、16日時点で宮城県で一般の
被災者が利用できたスタンドはわずか4カ所。

被災していない店もガソリンがないため開店できなかった。
県石油商業組合は緊急車両に残りわずかな燃料を回すので
精いっぱいだった。

タンクローリー不足は続き、250台から増えない。
29日、資源エネルギー庁資源・燃料部の加藤庸之(つねゆき)
政策課長は「これ以上出すのは厳しい」という石油連盟に
「それでも出してください」と求めた。

4月13日、300台を超えた。
同庁は近隣にスタンドのない地域にドラム缶と手動ポンプを
持ち込んだ「仮設スタンド」も設置した。

燃料不足が解消し物資も届くようになると、被災者が避難所を
いつ出られるかが課題となっていく。

◆仮設住宅

◇建設戸数にこだわるべきではなかった
地元任せ、増えぬ候補地
◇「みなし仮設」被災者の訴えで拡大

「分かっていると思うが、ちょっとやそっとじゃ済まない」。
3月11日の地震発生からわずか15分後、国土交通省の
橋本公博・住宅生産課長は受話器を握っていた。
相手はプレハブ建築協会。

協会は都道府県と災害時の協定を結び、市町村ごとの必要戸数
を集約した県の発注を受けて加盟各社に割り振る。
橋本課長は業界の生産能力を考慮し、2週間で600戸、
4週間で4300戸分の資材を出荷するよう協会に伝えた。

災害救助法で、仮設住宅の建設は自治体の業務とされている。
市町村が用地を探し、県が了承して建設が始まる。

国はサポートする役割だ。同法を所管するのは厚生労働省だが、
「資材発注や納期など業界とのシビアなやりとりは、国交省の
持つパイプなしには不可能。餅は餅屋だ」と厚労省幹部は言う。
特に今回は当初から、大畠章宏国交相が積極的に旗を振った。

橋本課長は95年の阪神大震災で仮設住宅を担当し、
04年の新潟県中越地震でも現地に入り用地確保の指示に
あたった。霞が関では「仮設のプロ」とも呼ばれる。

過去の経験で痛感したのは「霞が関と現場のギャップ」だ。
東京にいて頭で考えるように現場は動けない。
それを思い出し、翌12日以降に職員4人を被災3県に
派遣して建設のノウハウを伝えた。

長く大災害がなく、プレハブ業界の在庫資材は乏しかった。
大畠国交相は一般住宅メーカーにも協力を得ようと14日、
住宅生産団体連合会の樋口武男会長(大和ハウス工業会長)に
「2カ月で少なくとも3万戸程度供給できるように」と
要請した。

19日。
在庫をかき集め、岩手県陸前高田市の中学校グラウンドで
第1号着工に踏み切る。橋本課長には「避難所の人は仮設を
見ると希望が持てる」との思いがあった。

だが、そこからが進まない。
住宅業界全体は長引く景気低迷で受注実績が阪神大震災時の
半分程度になり、供給能力は大幅にダウン。
しかも一般住宅メーカーが生産ラインを切り替え資材生産に
乗り出すまでには4週間が必要だった。

国交省4階の大臣室に大畠国交相が張り出した仮設住宅建設
戸数の棒グラフは、4月1日から2週間「36」で止まった。
見るたびに橋本課長は胃が痛んだ。

各市町村からの建設要請は増え続け、4月14日には
7万2000戸まで膨れ上がる。省内には「仮設は厚労省に
任せておけばよかった」とのぼやきも聞かれたが、
「やらないで怒られるより、やって怒られたほうがましだ」
と漏らす幹部もいた。

4月26日の衆院予算委員会。菅直人首相が「遅くともお盆の
ころまでには希望者全員に入っていただけるよう全力で努力
したい」と表明する。省内には寝耳に水の発言。テレビ中継を
見ていた橋本課長は思わず天井を仰いだ。

建設戸数がなぜ伸び悩んでいるのか。橋本課長は市町村ごとに
精査するうちに、石巻市など宮城県の2市2町で用地確保の
遅れが突出していることが分かった。

土地のある内陸で戸数を増やしたい県と、「海沿いから
離れたくない」住民の意向を尊重する市町との間で調整が
つかない。国交省は自治体任せの方針を転換する。

首相の「お盆発言」があった26日、国交省の意を受けて
独立行政法人・都市再生機構(UR)から急きょ、用地選定の
専門部隊が2市2町に送り込まれた。
「水につかった所はだめだ」と一律に却下していても、
候補地は増えない。専門部隊は浸水が軽い場所であれば建設を
検討するよう県と調整し、基準を緩和していった。

       ◇

仮設住宅建設とは別の動きもあった。
災害救助法を所管する厚労省は震災発生翌日の3月12日、
法に基づき「(自治体が)民間賃貸住宅を借り上げて
仮設住宅とすることもできる」と県に通知した。

ところが被災地の行政はパンクしていて、借り上げは進まない。

被災者は避難所を出るめどが立たず、自分でアパートを
探し始める。その動きに呼応し、自治体から国費負担を求める
声が高まった。

だが、自ら入居した部屋を後から仮設とみなすのは前例がない。
省内では「自力で借りられる人まで救助法の対象とする必要が
あるのか」との慎重論も色濃かった。

そのころ、宮城県選出の愛知治郎参院議員(自民)の元に、
南三陸町の被災者からファクスが届く。
「急いでアパートを見つけましたが、
津波ですべて失い収入がありません」。

愛知議員は4月18日の参院予算委員会で取り上げ、
事態は動く。4日後、厚労省は一転して「みなし仮設」と
認める方針を固め、30日に都道府県に通知した。
宮城県が厚労省に要望書を提出してから3週間が過ぎていた。

厚労省災害救助・救援対策室の吾郷俊樹室長は「自治体自体が
被災し、借り上げまで手が回らないことが、いろいろ聞いて
いるうちに分かってきた」と振り返る。

国に認められたことで民間賃貸への入居は進み、
当初7万2000戸だった建設必要戸数は下方修正され、
5月19日時点で約5万2000戸まで減った。

みなし仮設は入居期間が原則2年で月額6万円が目安。
プレハブ仮設の建設費と比べ1戸当たりにかかる費用は格段に
安い。しかし厚労省は今回の対応をあくまで「例外」としている。

同省災害対策本部の金谷裕弘審議官は「被災地域が広く、
仮設の用地探しが困難だった。次にこれほど大きくない災害が
あった時、同じように認めるとは限らない」という。

首相が期限とした8月15日。9割にあたる約4万7000戸が
完成したものの、宮城と福島は全戸完成が9月以降にずれ込んだ。
結局、みなし仮設の入居者は建設した仮設の戸数を上回った。

増産を続けた住宅業界は大量の在庫を抱えることになった。
国交省は「大臣からの要請で準備したのに、
どうしてくれるのか」と抗議を受け、わびるしかなかった。

国交省の橋本課長は教訓を胸に刻む。
「被災者の気持ちを考えれば、建設戸数ばかりにこだわるべき
ではなかった。もっと前のめりになって、早くから自治体に
協力しなければいけなかった」

◆がれき

◇「国が処理を」実らず

旧北上川のほとりに建つ宮城県石巻市南境の仮設住宅。
10メートルほど先にがれきの1次仮置き場がある。

7月にようやく入居した石森章一さん(67)は
秋になった今も悪臭に悩まされる。
夏場はハエが異常発生して窓を開けられなかった。
2次置き場に移すめどは立っていない。
「せめて期限が分かれば、我慢のしようもあるのに」

がれき処理はなぜ遅れたのか。
3月20日、環境省から被災地に派遣された清水康弘審議官は、
現実を目の当たりにする。

 法律上、がれきは家庭ごみと同じ一般廃棄物で、処理は
市町村が行うが、震災当初、市町村はほとんど機能していない。
それでも依頼を受けた地元建設業者が少しずつトラックで
仮置き場に運んでいた。分別はされていない。



清水審議官は後のことを思うと心配が募った。
「最初からきちんと最後の処理を考えないと、
余計に時間がかかる」。首長に分別処理を勧めたが、
「こんな時にやっていられるか」と反発も強かった。

5日後、清水審議官は、がれきが最も多い石巻市を訪れる。
市幹部から「とにかく早く片付けてください」
とすがるような声で頼まれた。

いったん東京に戻った時、本省で「『とりあえず検討する』
という霞が関時間で対応してはいけない」と訴えた。

一方、国土交通省には首長から「国交省がすべて業者に
発注して処理してほしい」と陳情が相次ぐ。
建設・運送業界とのパイプがあるからだ。

だが、応えられない。
「われわれにはリサイクルや分別のノウハウがない」。

重機や作業員の足りない市町村からの相談窓口を設置したり、
埋め立て候補地の情報を提供するにとどまった。
環境省内には「国交省は人を出して手伝ってはくれない」
との不満も出た。

こうした中、仙谷由人官房副長官が5月8日、
「国が(費用を全額負担する)直轄事業でやらないと進まない」
とテレビで発言する。環境省には初耳。

職員が約1400人と少ない同省は、被災したすべての
自治体に職員を出すことはできない。地域の実情も分からない。
「仙谷さんは現実を知らない」。憤りさえ漏らす幹部もいた。

宮城県の村井嘉浩知事は当初から「国直轄」を強く要望していた。
1次仮置き場への搬入は進んでいたが、今後は2次仮置き場に
運び、分別してリサイクルや焼却処分するには広域での処理が
必要になる。

とても市町村単独ではできず、県が代行するにも人手が足りない。
さらに、補助事業である限り、補助金の申請・執行に関する
手続きが煩雑で、処理が遅れてしまう。
仙谷副長官の発言を聞き「国が何とかしてくれるかも
しれない」と村井知事は期待した。

しかし霞が関の議論は進まない。

地方自治を所管する総務省の幹部は「財務省が嫌がった。
過去の災害との比較もあり、(国が全額負担する)あしき
先例を作りたくないということ。うちもそれを聞くしか
なかった」と明かす。

5月27日、村井知事は県庁で樋高剛・環境政務官と
向き合った。「村井さん、これ以上待っても状況は
変わりません」。直轄事業をあきらめ、県に代行して
ほしいという国の意向を知事は受け入れた。

1次置き場が満杯になると、がれきの撤去が滞り、
町の復興が遅れる。2次置き場に移す作業を一刻も
早く進めなければならなかったからだ。

結局、国の負担は95%まで引き上げられたものの
「国直轄」は実現しなかった。

8月12日に成立した特別措置法には、野党側の主張も
反映され、市町村の委託を受けて国が代行することも
できるとの規定が盛り込まれた。

しかし県は既に代行を始めていた。
「もう、時計の針を戻せない」。
村井知事は今さら仕組みを変えても混乱するだけだと判断した。

がれき処理に苦闘する石巻市。
職員は補助金の申請に必要な処理計画書の作成に追われ続ける。

環境省から3回書き直しを求められたこともある。
「環境省もわれわれも休まずがんばっている。
なのに進まない。何かがおかしい」

426 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 16:17:21.21 ID:5OPkfocy0 [1/3]
人災の最たるものと思うのはどんどん入院患者が死んでった
病院だな。なぜにヘリで自衛艦に搬送しなかったのか。

433 名前: ◆65537KeAAA [] 投稿日:2011/10/02(日)
16:22:50.79 ID:F7u5dMYGP [7/7] ?PLT(12377)
>>426
緊急事態宣言出してなかったから、
航空法の規定で学校の校庭とかに着陸出来なかったはず

一週間位経ってから
「緩和されて着陸できるようになって
物資のヘリ輸送が始まった」
ってニュース見て激昂した覚えがある

475 名前:名無しさん@12周年[sage]
投稿日:2011/10/02(日) 16:45:16.31 ID:RWNnLvX00
顔見える関係生きた
 http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000151109260001

3月11日午後6時。スーツ姿の大柄な米国人2人が
横須賀市役所4階の災害対策本部に駆け込んできた。

「原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)は無事です。
基地施設にも損傷はありません」

汗だくで話す2人は、米海軍横須賀基地内で、原子力防災の
渉外担当として市との窓口役を務める技術者と通訳だった。
電話がつながらず、市内の道路は大渋滞。タクシーを
乗り捨てて市役所まで約1キロを走ってきたのだという。

東日本大震災の発生から3時間。
見知った米軍関係者から直接、報告を受けた吉田雄人市長は、
ようやくほっとした。

GWは昨年12月から横須賀港で定期修理中。
在日米海軍司令部からは午後3時15分、「GWに地震の
被害はない」とのメールが届いたが、この技術者とは何度
かけても電話が通じず、津波の影響などの詳しい状況が
分からなかった。

横須賀市内は震度4。港内の水位変化は最大で
1・8メートル程度だった。危機管理課は「深刻な事故の
心配はないだろう」と考えつつも、万が一に備えて電話を続け、
市内18カ所に設置されたモニタリングポストの放射線量に
注意を払っていたところだった。

「米軍と続けてきた、顔が見える関係が生きた」
と吉田市長は振り返る。

その夜、横須賀版の「トモダチ作戦」とも言える
基地からの支援があった。

市内は市役所周辺を除いて全域で停電が続いていた。
午後8時。
下水処理場のポンプを動かす発電機の重油が間もなく切れる。
このままでは下水があふれる――そんな連絡が災害対策本部に
届いた。

市内のガソリンスタンドに打診したが、重油の備蓄はない。
そこで、米海軍横須賀基地司令部にメールで要請したところ、
「タンクローリー車をよこしてくれ」と即答。

重油7600リットルの無償提供を受けて、発電機は電力が
復旧する朝まで動き続け、ことなきを得た。

市と米海軍横須賀基地司令部が
2007年に交わした防災協定に基づく提供だった。
訓練は重ねていたが、実際の運用は初めて。

市からの感謝状を受けた横須賀基地司令官のデイビッド・
オーウェン大佐は「我々も横須賀市の一員。役に立つことが
できてよかった」とコメントした。
 GWに搭載する放射線量計が、低レベルの放射性物質を
検出して、アラーム音を発したのは震災から4日後の
ことだった。
             ◇
 米海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンが、横須賀港を
母港として25日で3年を迎えた。東日本大震災で、
横須賀市民は災害救援での米軍の活躍を頼もしく感じる一方、
原子力事故の恐ろしさに改めて直面した。3月11日を
契機にした「基地の街」の動きを追う。

470 名前:名無しさん@12周年[]
投稿日:2011/10/02(日) 16:43:22.22 ID:8JmFdPRz0
中国からガソリンを積んだ小型タンカーが直接、
宮城や仙台に行きたいといったら、

民主党が指示した先が長崎だぜ。

そのタンカーは港湾施設が無くても降ろせやつだと、
説明したんだけどあ。

477 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 16:45:43.05 ID:rJFtvK0Q0 [15/20]
>>470
そういえば、支援物資の毛布が規格外だからって
全部返品になったんだっけ

わざわざ日本仕様に作り直してツナ缶送ってくれた
モルディブのやつ、ちゃんといきわたったのかな?

562 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:22:15.89 ID:p3Lr6u0s0 [1/3]
>>1
ぜんぜん間違った恣意的な分析
まず、寛内閣批判を巧妙に避け
完了のせいにしている。

次に問題はローリーだけじゃない。
青森から東京までの油槽所がダメになったので、
生きている西日本の油槽所から東北にガソリンを運ぶ
必要があったが
東北本線も東北道も港湾も死んでいて運べなかった。

それで民主党と菅内閣がぜんぜん機能しなかったために
自民党が代わりに業界をコーディネートして
油送ルートを構築した。

日本海側のJRを使ってガソリンを貨物輸送し、
青森県の生きている港湾にタンカーでガソリンを運んだ。

経団連や石油業界やJRや秋田新潟青森県に連絡して調整して
自民党が実現させたんだ。

毎日新聞が記事に書いているローリーの話は
その先の末端に過ぎない。

721 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 18:26:58.79 ID:5SE4AwnL0 [1/3]
>>562
タンク貨車ってあったんだって
貨物輸送報道スレのときファンサイト覗いたら
タンク貨車もたまたま過去の余剰貨車で
古い容量の少ないタンク貨車があったから
普段貨物走ってないようなローカル線でも入線できて云々
あったしね。

たぶん次にこういう状況に陥ったら
そういう社会のバッファ機能は市場原理で
すべて無駄とされてるからなくなってるだろうね。

585 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:29:36.37 ID:FyoaOLDZ0 [2/2]
この大災害に国家非常事態宣言で対応しないでどうすんだよ。

594 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:32:46.13 ID:UWHEoJBO0 [5/21]
>>585
非常事態宣言出さなかったのに、「戦後最大の危機」って、
どの口が言うんだって思う。

596 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:33:30.58 ID:GUPWIx6S0 [16/34]
>>594
それが民主の基本方針w

604 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:36:10.38 ID:vNNFASH/0 [4/7]
それでさっきのブログなのだが・・・
 ↓
 http://ameblo.jp/wagtail0107/

2013年には製油所減るからね。
これ法律でもう決定だからw
もう一回関東大震災で製油所何個か潰れたら
東京死ぬから。絶対死ぬからw
南海地震あったら大阪は半分死ぬから、半殺しだからw

まぁそんな感じで覚悟しておかないとダメ。
もうメールしても電話してもダメだった。
官僚叩いている奴が何人かいるけど
俺は無能だったわ。

642 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:51:13.55 ID:vNNFASH/0 [6/7]
製品を運ぶ内航船は1000トン未満が主流。
大体500~800トン運べる。
ローリー50台前後を一気に運べるから
被災地へは船で運ぶのが正解。
しかし、湾口設備が死んでいる場所は陸路しかない。

日石の社員、多分JR案を出したのはあいつらだろうよ。

東燃はアメリカ式でスタンドごと持っていく荒業w
被災地にスタンド作ってただ券配った。

元売りのページ漁ればいろいろ出てくるよ。
政治家なんかより末端の民間社員ががんばりまくった。
それを判ってほしい。

648 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:54:44.08 ID:UWHEoJBO0 [9/21]
>>642
港湾設備が復旧したあとも、
政府の船が物資を運ぶための燃料を輸送しなかったから、
食料や医薬品や衣類などの物資はあるが配れない、
という状況になった。
とにかく邪魔と厭がらせばかりしたな、政府は。

649 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:55:06.30 ID:GUPWIx6S0 [18/34]
>>642
また津波が到来するかもしれんし、
余震が頻発して作業に危険が伴う時期に
末端の民間社員が頑張ったのは凄いよ。本当に。

今は忙しくて難しいかもしれんが、
あの時の状況と教訓を何かに記録して
おくと今後の災害に役立つ。
これから寒くなるけど体に気を付けてね。

650 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:55:32.24 ID:vlFL+fJj0 [14/53]
>>642
ISOコンテナによる東北本線利用はJR貨物のほうが
自分から申し出たという話を聞いたが。
まあ、噂だが。

652 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:55:42.30 ID:NVZwb9XE0 [1/3]
>>642
分かってます。
いつも民間が血を流してます。

675 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 18:08:06.80 ID:KMvY5aVe0 [5/22]
>>642
> 政治家なんかより末端の民間社員ががんばりまくった。
あいつらは所詮選挙のことしか頭にない、
上手く踊るか下手に踊っているか違いしかないねw

とにかく、よくやってくれた。ありがとう。

654 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 17:57:56.15 ID:UWHEoJBO0 [10/21]
首相は最近、知人から
「震災復興も原発対応も、
良心的な官僚がいるはずで、彼らを使うべきだ」
と助言されたが、

「(東京電力や官僚は)情報を隠している」
と不満を漏らし、聞く耳を持たなかったという。
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110328-OYT1T00919.htm

772 名前:名無しさん@12周年[]
投稿日:2011/10/02(日) 18:47:59.54 ID:BzB93PvN0
>生産量は足りている。ちゃんと手を打っている

おまえは70年前の大本営か
太平洋戦争開戦直後に、南方の資源地帯を押さえても、
兵站を維持するだけで手一杯で
資源を日本に運ぶ手段が無かったのが当時の日本

当時も海洋国家を標榜していてもこの体たらく

南方の資源が一年半の期間だけでも、
潤沢に日本本土に輸送出来ていれば日本は
後3年は戦える可能性があった

なんだかんだ言いながら、日本の昭和20年の敗戦までの
工業生産高は過去最高のペースだった
敗戦直後の物資不足であれ程の酷い事に
なってはいなかったはず

812 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 19:05:14.67 ID:GUPWIx6S0 [21/34]
>>772
日本がボルネオを抑えたら百年戦争どころか
三百年戦争も可能となる
イギリス陸軍参謀総長アイアンサイド

やっぱ兵站は大事だね。

824 名前:名無しさん@12周年[sage]
投稿日:2011/10/02(日) 19:09:29.24 ID:TOv5cOx30
>>812
> やっぱ兵站は大事だね。

自衛隊の災害派遣に対して、
自衛隊は石油元売と契約を結んでいるんだが、
政府から自衛隊も例外とせず販売禁止としちゃったので、
災害派遣のための燃料が・・・というのが実際に発生した。

自衛隊ががんばって燃料かき集めて、
とりあえず2日間活動できる燃料を確保
したけど、確保できなかったら救助手遅れで
何人亡くなっていたか。

兵站は大事だね。

844 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 19:18:46.74 ID:GUPWIx6S0 [23/34]
>>824
雪が舞っていた厳寒の東北でソレは無いだろうと思う
>自衛隊に給油ダメ
あの寒さだと救助が1時間遅れただけで助かる命が・・
になっていた。
本当に民主は日本ダメダメを推進するつもりだったかも。
意識的にも無意識的にも。

876 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 19:35:49.31 ID:cezHdKF60 [4/5]
このガソリン兵糧攻めと、
食料燃料に飢えて最初に届いた支援物資にwktkしたら
棺おけだけだった…っていう気の毒な話は印象に残りすぎてる。

878 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 19:37:32.02 ID:KMvY5aVe0 [21/22]
>>876
棺おけ…か、そうは言うが必要なものなんだよ…

884 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 19:41:24.46 ID:cezHdKF60 [5/5]
>>878
泣けるから読んでみて。自分が入っちゃいそうな状況だと
シャレにならなないかと。

 福島県相馬市。東日本大震災で甚大な被害を受けた同市に、
昨日(15日)、ようやく届いた最初の物資は、遺体を入れる棺、
200個だった。
 http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/498bb625e6b24c8b0ff7542c90461dbc/

899 名前:名無しさん@12周年[]
投稿日:2011/10/02(日) 19:49:36.29 ID:vstopMHs0
何のための120日分の備蓄だったのか?
あの震災が、予想外の危機ではなかったら
どの程度の震災で備蓄を切り崩すのか?

自衛隊は、1.5日分の燃料残まで逼迫してたんだぞw

703 名前:名無しさん@12周年[]
投稿日:2011/10/02(日) 18:20:13.28 ID:c7viVNzH0
でも、某大臣の地元にはジャブジャブ流してましたw
その後、バイブ船団が支援物資を横流しw
どうしようもねーよ

729 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 18:29:24.45 ID:cezHdKF60 [2/5]
>>703
たしかにこれの説明してほしいよなw

 47 名前:名無しさん@十一周年[sage]
 投稿日:2011/04/21(木) 20:21:10.09 ID:Wf/kOa1k0
前スレまとめ :ローリー50台

11店舗配布
田村市 中通り中部(郡山隣接)★玄葉選挙区
面積 458.30km2
総人口 40,270人

7店舗配布
いわき市 浜通り南部
面積 1,231.34km2 
総人口 341,711人(田村市の8.5倍)

2店舗配布
南相馬市 浜通り北部 ☆兵糧攻め
面積 398.50km2
総人口 70,834人

912 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 19:54:16.29 ID:IkIniaxX0 [3/7]
>>729
郡山まで磐越西線だけは生きてて、乗り入れできて、
その先の東北本線や水郡線は復旧できず、
郡山にタンクローリー集めたんだろ。

北は盛岡までガソリン列車は入れたから
盛岡に使えるタンクローリー結集。

県庁所在地の福島市にガソリン届くのに5日ぐらいかかったが、
仙台よりまし。いわきも津波で着岸できなかったし、
常磐線、常磐道、6号線も不通でしばらく運べなかった。

東北道や常磐道仮復旧した時、
でこぼこでタンクローリーはまだ走れなかったと思う。
でこぼこ埋めてもしばらく政府は走らせなかったけどね。

934 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日
:2011/10/02(日) 20:09:17.35 ID:ZP4J1pym0 [4/4]
>>912
たしかに「鉄道経由で上下作戦」の頃には、郡山集中配備に、
合理はあった
だけど玄葉の地元えこひいきが叩かれたのは、
もっと後だったと記憶してる

「櫛の歯作戦」が成功して、自動車輸送路が確立してなお、
燃料不足(ブツじたいの不足)は解消されてなかったろ

965 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日
:2011/10/02(日) 20:21:41.76 ID:IkIniaxX0 [5/7]
ガソリン不足は人を殺気立たせる。
ガソリンめぐってケンカがおきてたらしい。
15リットル、20リットル入れるために、前日から大行列だった。

「あそこのGSが販売するらしい」と情報飛び交って右往左往。
うちは車3台あったから、ガソリン抜いて燃費の良い
リッターカー使ってたから、ガソリンが普通に買えるまでの
2週間をなんとかしのげた。こういう大災害時は、
ガソリン配給券を役所で配ったほうがいいね。

980 名前:名無しさん@12周年[sage]
投稿日:2011/10/02(日) 20:26:20.15 ID:VLq/Item0
>>965
【政治】 オイルショックのときに用意された「石油配給切符」、
30年間使われず…倉庫保管料十数億円

 1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2009/10/21
1970年代の石油危機をきっかけに、当時の通商産業省が
石油の配給制を実施する場合に備えて用意した「石油配給切符」
72億枚が一度も使われないまま、30年間、
首都圏の民間の倉庫に保管されていたことがわかった。

支払われた保管料の総額は少なくとも十数億円に上り、
5年前に事業の見直しに向けて検討を始めた後も、
年間約7400万~約8700万円が支出されていた。

石油配給切符は1979年、通産省資源エネルギー庁の
「緊急時対策整備事業」に基づいて作製された。
切符1枚の大きさは切手程度で、36枚が1シートになって、
現在は8000万シート(段ボール箱2万箱分)が
 東京都中央区の民間倉庫に、1億2000万シート
(同3万1000箱分)が神奈川県厚木市の民間倉庫に
それぞれ保管されている。

この事業は、石油の輸入が大幅に不足して国の備蓄でも
足りなくなった場合、各世帯や車の所有者に灯油用と
ガソリン用の2種類の配給切符を配る制度で、
この切符があれば、一定量の配給を受けられる。

当時の全国の世帯数が、さらに増えることを予想して
印刷枚数を2億シートと決め、倉庫会社2社と随意契約を
結んで保管が始まった。

同庁が紙製の切符に代わるものが導入できないか、
検討を始めたのは2004年度以降。

民主党は政権交代前の今年7月、国の09年度予算に計上された
事業のうち、85の事業について税金の無駄遣いかどうか検討
した結果を公表。「廃止すべき」とした17事業の一つに、
この事業をあげて「ITを用いた管理方式に改めるべき。長年、
事業を見直すことなく、継続し続けた行政の怠慢の現れ」
と指摘した。

その後、衆院選の投開票翌日の8月31日に提出された
来年度予算の概算要求で、経済産業省はこの事業を
盛り込まなかった。

 ------
【政治】村山元首相が回顧本…阪神震災は
「一切連絡なし。朝6時のニュースで知った」
 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1317541749/

1 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめきφ ★
[tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2011/10/02
「正直言うと、僕は朝6時のNHKのテレビニュースで見た。
それが最初。
それまでは一切官邸に連絡はなかった」。

1995年の阪神大震災発生時に首相だった村山富市氏(87)
がこのほど出版された回顧インタビュー「村山富市の証言録
自社さ連立政権の実相」(新生舎出版)で政権の舞台裏を
明かした。

94年に社会党委員長として自民、さきがけ両党に推された
村山氏は、衆院本会議で首相に選出されるまで
「受けると言わなかった」。

しかし「それなりの歴史的役割が課せられているかもしれない。
この内閣でなければできないことだけをやろうと腹を決めた」
と述懐。

植民地支配と侵略を認めた戦後50年の「村山談話」に関し、
自民党内に「随分反対があった」ものの「政権を持っている
ことの強さで、少々のことは我慢しなければいかんと
同調してくれた」と振り返った。

非自民の細川連立政権で組んだ民主党の小沢一郎元代表に対し
政治経歴などから「一緒にやれんという気持ちがずっとあった。
あまり口をきいたこともない」と評した。
+*+ Sponichi Annex +*+*
 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/10/02/kiji/K20111002001743790.html

http://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-9200.html

by huttonde | 2011-10-04 02:29 | 利敵・工作(付け足し) | Comments(0)
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