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現実話 108
技術者魂

あるとき、自動車の大会社の技術担当重役にお会いしました。
ちょうど良い機会だったので、私は電気自動車の将来性に
ついてご質問をしたのです。

私は質問に対して、将来の市場性(つまり車として有望か、
日本で売れるかどうか)などをお答えになるのではないかと
思っていたのですが、驚いたことに彼は話を始められてから
終わりまで、すべて「いかに安全な車が設計できるか」に
ついて微に入り細にいり、私に説明をしてくれました。

これこそ「技術者魂」なのです。どんなに素晴らしい車、
最高速度が大きい新幹線、電気をもたらす発電方法、そして
通信の優れた携帯電話を作っても、それが安全で、快適で、
幸福をもたらすものでなければ「技術的作品」とは呼べない
ものです。

福島原発の事故に関して国会の事故調査委員会の結論が公表
されたとき、あるテレビ局がコメントを求めたので、私は
「一応の評価ができるものだが、技術的踏み込みが不足して
いる」と言いました。たとえば事故原因が「人災」だったと
しても、人災をもたらした人間関係、組織を問題にすると
しても、技術者だったら、しつこく技術的問題を取り上げる
からです。

その点で、福島原発事故のあと、まだ原発を推進しようと
している技術者がいるのは実に不思議です。福島の事故が
起こるまで、軽水炉で、しかも日本の軽水炉で福島クラスの
事故を起こすということは原子力の技術者は考えていません
でした。

だから、あの事故は技術者から見ると完全に失敗で、何が
間違っていたのかを徹底的に考え、新しい設計をやり直さ
なければ到底、原発を推進する気にはならないからです。

私は、今の技術力では電気は火力発電がもっとも適している
と思いますし、石油石炭天然ガスなどは1000年はあるの
ですから、少し頭を冷やして考える時間は充分あります.
また100歩譲ってCO2による温暖化の効果が少しあると
しても、世界でCO2を削減しているのは日本だけですから、
原発事故の後、しばらくは火力発電をするのに世界は何も
異議を挟まないでしょう.

・・・
原子力発電技術に少しでも携わった技術者の皆さん、私たち
(原子力に関係した技術者)は次のように訴えようではあり
ませんか.政治的なことなどに関心はあっても私たちの本業、
技術の魂を守ろうではありませんか.

1. 私たちは原子力技術が日本のためになると信じて、
技術の開発を行ってきました。決して、私利私欲ではなく、
原子力の実用化によって日本が繁栄することが目的でした.

2. 私たち(原子力技術者全体:個別の技術者では軽水炉が
危険だと言っていた方もおられます)が軽水炉を選択し、
それを推し進めてきたのは負のボイド効果など原子炉の中
では格別に安全性に優れていたからです.

3. 原子炉の固有安全性、多重防御などによって、震度6の
地震や15メートル程度の津波で爆発するとは思っていません
でした。事故が起こってから「津波が15メートルだったから」
といういいわけをしている人もいますが、私たち技術者は
「震度6で津波が15メートルに達したら原発が爆発する」
と言わなかったと記憶しています。

4. 私たちは個別の技術者がどう言ったかは別にして、
技術者全体としては日本社会に「原発は安全です」と言って
きました。原発の安全性は技術者以外にはわかりません。
だから今回の事故は私たち技術者の責任です。

5. 「震度6、津波15メートル」で爆発したとなると、
私たちの安全の考え方に基本的な誤りがあったことを示して
います。「固有安全、多重防御」が意味をなさなかったの
ですから、私たちは「基本的に考え直す」ことを表明する
必要があります。

6. 当面、私たちの失敗によって国民に迷惑をかけたのです
が、節電に協力していただき、できるだけ早く、もっとも
技術的に完成している化石燃料の火力発電を早期に稼働できる
ように努力することが大切です。これがせめてもの国民に
対する贖罪の一つです。

7. もう一つ、福島を中心として苦しんでいる人に、
4500億円の原子力予算、カンパ、労働奉仕、被曝測定
・・・なんでも良いですから、ご迷惑をおかけした人の生活
の回復に原子力に関係した技術者全員で努力したいと思います。

・・・
政治が技術に命令する事があります。でも、それによって
技術者の魂が奪われるわけではありません。政治が
「被曝限度は1年20ミリ」と言っても、私たち技術者が
これまで「被曝限度1年1ミリ」と決めてきたのです。

さらに原子炉の設計に当たっては「1万年から10万年に
一度の事故に限って臨時に1年5ミリまで認める」という
設計基準で審査をしてきました。今回の事故は日本で原子力
を始めて40年ほどで起こった事故ですから、その意味では
100年に一度。もし地震の規模という点で1000年に
一度でも、1年1ミリを超える事はありません。

自分たちで決めたことには責任を持ちたいと思います。
日本は科学技術立国であり、技術は単に学問的なものだけ
ではなく、今後も社会に貢献する安全な技術を提供していく
必要があります。その最も大切なのは技術者の魂、技術者の
倫理であることは間違いありません。
gijyutsurinritdyno.201-(8:16).mp3」をダウンロード

(平成24年8月4日) 武田邦彦

感動を失った社会

オリンピックが開催されて多くの日本人に深い感動を与えて
います。商業化されたとか、本来のスポーツマンシップを
忘れているなどと批判もありますが、やはり頂点を目指して
努力してきた人の緊張感、努力に接すると人間は感動するの
も事実です。

ところが目を日本に転ずると、政府の公約破棄、原発事故と
電力会社の横暴、中学校のいじめ自殺と教育委員会の保身な
どおよそ感動とはほど遠い事ばかりです。今や日本には
街角にヒット曲が流れることもなく、展覧会がどこで
開かれているのかもよくわからなくなりました。

このように、私たちの心を揺さぶることが無くなったには
様々な要因があると思いますが、私の専門の近くから見ると、
それも当然のような気がします。

まず第一に「未来が暗い」ということですが、これは「本当に
暗い」のではなく、「一部の人が儲けるために無理矢理作り
出した暗さ」です。たとえば、石油石炭天然ガスは1000年
は充分あるのに、太陽光発電などの自然エネルギーに補助金を
出すために「無い」と言って不安をあおることです。

理想に燃えて太陽電池を研究したり、それを自宅につけたり
することは良いことですが、その時に人のお金を当てにし、
電気が余ったら電気料金の約2倍で売ろうとするという
背信行為が正当化しています。

「CO2で温暖化する」というのもウソで森林に補助金を
入れたい」、「天下り先を作りたい」というだけのことで
あることが徐々に明らかになってきています.

このような資源や環境の分野での「作り出された暗さ」には、
リサイクル、ゴミがあふれる、ダイオキシンは猛毒だ、
環境ホルモンでメス化、コンビニエンスストアの夜間営業禁止、
レジ袋の追放など枚挙にいとまがありませんし、さらに
タバコの追放、メタボ利権、高血圧利権など人の健康を
出汁にするものまで出現している有様です。

このような現象は環境問題に限られるわけではありません。
年金は積み立てておいた記録が5000万人分、無くなって
しまったり、現金自身が政治家の圧力で貸し出されて戻って
こなかったりしています。さらに地震と原発事故で疲弊して
いる国民に、増税したり、扶養家族控除を止めたりと追い打ち
をかけています。

これらは作り出された暗さで、本物の暗さではありません。
世界の資源はたっぷりありますし、温暖化はしません。
ゴミは焼却すれば町にあふれることはなく、
タバコで肺がんになる人の数は少ないのです.

むしろ、日本は諸外国に比べて対外資産が極端に多く、
技術力も高く、国民の真面目さ、勤勉さが残っていますので、
未来は全く心配は無いのです。多くの人が毎日を楽しく過ごせ
ば、景気は良くなり、日本の将来は明るくなるでしょう。

第二に「誠実な社会」を作ることです。ギリギリの商売の
中で若干のだましが入るのは良いのですが、毎日の生活や
目に見える政治の世界でだましが連続すると、
人間はすっかり夢や目標を失います。

現在の日本では「政府が「悪」であるとき、「正」を何で
決めるのか?」という問題に直面しています。そして本来、
学問の自由が保障されて学問に忠実であるべき学者が曲学阿世
(御用学者)であったり、表現の自由で守られている報道機関
が事実を報道するのをためらうようなことが起こっています。

選挙の公約の遵守、学問への誠実性、報道の公平性などは
いずれも社会の基幹をなすものですから、これらが崩れたら
社会が暗くなるのは言うまでもありません。

さらに、ある主婦の方から「真実を口にするのが憚られる時代」
というメールをいただきました。ヒットラーのドイツ、
スターリンのソ連に代表されるように、日本も真実を口にする
とバッシングを受ける社会になりました。

社会的に将来が不安で、ウソが多く、思ったことを口に
出せない社会・・・そこに感動があるはずもありません.
どんなに貧乏でも「明日は今日より良くなる」という確信や、
「自分の身の回りは愛と信頼に満ちている」という安心感
こそが人間を人間らしくし、人間の知性、美的感覚、
情緒などが花開くのです。

・・・
ヨーロッパの中世は精神が抑圧された時代でした。ある若者が
高僧に「太陽を観測すると黒い点のようなものが見えます」
と言ったところ、高僧は「古典を調べてみる」といって寺院の
中に入り、しばらくして出てきて「古典をくまなく調べたが、
そのような記述はない。黒い点やらは君の眼のシミだろう」
と言った。

この話は中世の抑圧されていた時代、新しい事実を見いだし
てもそれを認めてくれず、形式論だけで進んでいたことを
示しています.このような社会の雰囲気では科学や芸術は
進歩せず、だからこそ「ルネッサンスの爆発」があったのです。

まず、自由な雰囲気の日本、誠実を大切にしてウソを嫌う日本、
他人をバッシングしない日本、優れた子供を素直に褒める日本、
自分の国の伝統に誇りを持つ日本、そして日本の国土は
日本人が守るという決意を持った日本を作ろうではないかと
思います。

私個人はどんなことが起ころうと、常に真実を語り、
楽しく生活し、誠実に生きようと思っています。それが
たとえバッシングの対象になっても全然気にしません.
誰かが行動に起こさないと新生日本は誕生しないからです.
たった一人の力ですから微々たるものですが、それでも同じ
気持ちの人が大勢おられることを励みにやっていきたいと
思っています。

自殺、放火が世界のトップクラスという今の日本が病んで
いるのは言うまでもなりませんが、それは「回避できないこと」
ではなく、私たち大人が決意をすれば回復できることだと
思っています.
kandoutdyno.203-(9:23).mp3」をダウンロード

(平成24年8月4日) 武田邦彦

時事寸評 東電の社内の会議録音などを公開

東電が事故後の社内の会議の録音、電話記録などの情報を、
かなりの制限をして公開しました。期間が短く、時々カット、
2次使用はダメなど制約がついていますが、それでも一応の
進展です。不完全な情報からでもさまざまな問題点が出る
でしょう。

問題点が出ることをいやがっている節もありますが、もし
原発を続けようとするなら、情報を公開して国民の信頼を
回復すること、原因を追及したり事後に起こったことの
問題点を研究することなどはどうしても必要で、東電が
我が身の保身と原発の再開、もしくは日本を愛しているか
などが試されます。

また、このような不完全な公開をした理由として「私物だから」
ということですが、東電は独占企業で、原発に多額の補助金を
出してもらっていて、電気代も独占ですから、決して「私企業」
とは言えないのです。経営は東電がするとしても、日常的な
活動は公的な活動ということができます。

・・・
東電と似ているのがNHKなどの報道機関です.報道機関と
いうのは私企業のようですが、独占的な情報取得手段
(多くの記者、カメラマン、記者クラブなどの独占など)を
もっていますので、これも半官半民です。

つまり多くの外国で現実にそうなっているように、
「経営と報道」はべつものです.経営というのは、
ある新聞社とかテレビ局が良い報道な楽しみを供給している
と判断して、その経営を担当するということですから、
経営と報道や編集は独立して運営されるということになります。

専門性を尊重する国は、このような経営が広く普及していて、
「経営と技術」、「経営と報道」、「経営と医療」、
「経営と教育」なども独立しています。

事故直後、NHKの記者は「被曝が危険だから」という理由で
福島から引き上げ(経営)、福島県民には「被曝は健康に影響
がない」と報道(編集)してきました。まさか報道が福島から
自主的に引き上げたいというはずもありませんから、
経営と報道で激しい戦いがあったはずです。

この間、NHKでなにが議論されたのか、報道機関ですから、
東電よりさらに踏みこんだ情報公開を求めます。
事故の原因追及も大切ですが、今後の事故などを考えると、
今回の事故ではマスコミの情報秘匿がもっとも大きいと
思います。

また30キロ定点観測で1号機、3号機、4号機の爆発映像を
取ったのに、その公開を制限した理由と経緯も明らかにする
べきです。今回の原発事故では、今に至ってもストロンチウム
90の測定値が出なかったり、福島の汚染が報告されなかった
り、食材の汚染の公開が遅れたり、まるで発展途上国の
情報公開のようでした。

日本は立派な国ですから、国民の知る権利をさらに大きく
認める事、このことに司法も含めてより厳しく考えるべきだ
と思います。
tdyno.213-(6:00).mp3」をダウンロード

(平成24年8月6日) 武田邦彦

「瓦礫」と「村八分」:国の違法行為強要

震災瓦礫問題で多くの友人を失った。私にはにわかに
信じられないことだが、「規制に違反しても震災地を救う
べきだ。瓦礫を引きうけないとは日本人として恥ずかしい!」
と激しく言う友人に唖然としたものである。

今、オリンピックで環境省と日本オリンピック委員会が
「瓦礫バッジ」を作って、子供達を使って選手に配ったと
言うことで問題になっている。そこには「日本のすべての
人の力を一つに」とある。つまり、日本人なら震災地からの
瓦礫の搬出に協力するべきだということを外国に訴えている。
現実話 108_c0072801_1438583.jpg
日本人は「瓦礫搬出」に反対している訳ではない。「規制を
超えた放射性物質を含む瓦礫の搬出」に疑念を示しているだけ
だ。つまり、「国が法律を破れといっても善良な国民は規制を
守りたい」と言っているだけで、これをすり替えてあたかも
「汚染されていない瓦礫の搬出に反対している。ヒステリー
だ」と叫ぶ政府、環境省、そして私の友人はどういう意味
だろうか?

同じ言動だが、おそらく政府関係者は「嘘つき」で、友人は
「無知」なのだと思う。そう考えないとつじつまがあわない。

・・・
国の規制は、格別の注意を払わずに持ち出せる瓦礫は1キロ
グラム100ベクレル以下である。それに対して2011年10月に
環境省が示した持ち出し基準は240から280ベクレル以下
(環境省廃棄物対策課)である。

細かいことを言えば、・・・以下という時には幅を持たせては
いけない。240から280ベクレル以下というと、260ベクレル
は片方では違反、片方では合法ということになる。
実に曖昧で奇妙だ。

実は1キロ100ベクレルが決まったのは、つい最近
(原発事故の半年ほど前)であり、その決定は日本の
放射線被曝に関する主要なメンバーが参加している。
現実話 108_c0072801_14392260.jpg
この表は委員のリストだが、メンバーの中には今話題の
原子力規制委員会委員候補の中村佳代子さんや、
首相補佐官だった小佐古先生などが居る。
現実話 108_c0072801_14394836.jpg
現実話 108_c0072801_1440639.jpg
そこで承認した基準は、対象物がこの表に示したように、
コンクリート片、燃え殻、煤じんなどであり、セシウムの
場合、1キログラムあたり100ベクレルと明示されている。

環境省は規制を超えた1キログラムあたり240から280ベクレル
の瓦礫を地方自治体に運搬し、それを焼却したときの燃え殻の
基準を8000ベクレル以下としていたが、さらに2012年7月に
10万ベクレル以下に上げる。

放射線を取り扱う特別な施設でなくても、処理して良いレベル
が1キロ100ベクレルだから、8000ベクレルとか10万ベクレル
というのはまったく論外だ。とくに、「放射性物質」として
慎重に取り扱うことが決まっているのは「1キロ1万ベクレル」
で、これを超えた物質を取り扱うと「犯罪」になる。
環境省は国民に犯罪を強要している。

また、「薄めることで規制をくぐる」というのは、規制を
「骨抜き」にすることだから、国内法の精神に反し、国際的な
約束違反である。この「希釈禁止合意」については法律の精神
から当然のことで、「希釈すれば良い」ということであれば、
1キロ1万ベクレル以上のものでも太平洋に捨てれば希釈される
からOKということになる。

すでにこのことはドイツ放射線防護協会からもクレームが
でている。この協会は日本人全部に呼び掛けていて、日本人の
ミスで漏れた放射線によってドイツ人が2次被曝するような事
が無いように、法の精神を守って欲しいと訴えている。
国際的にも恥ずかしいことだ。

・・・
つまり、この瓦礫の問題は「順法精神・国際的約束」を持った
善良な日本国民が従うことのできないような違法行為を強要し、
それに従わなかった国民を「非国民呼ばわり」するという
問題である。

これほどハッキリしている間違った行為を、政府、官僚、
識者がこぞって「正しい」とするのはきわめて不思議である。
仮に、非常時の立法というものを計画しても、それが従来、
日本国民の健康を守るために決めた数値となぜ異なるのかに
ついては説明を要する。

福島原発から漏れた放射性物質は80京ベクレル(政府)から
100京ベクレル(東電)であり、これは日本中に拡散したら
日本国土に誰も住めなくなる量である。だから、事故前より
瓦礫などで放射性物質が拡散するのをできるだけ防ぐのが
政府の役割であり、違法基準を強要するということは
考えられない。

チェルノブイリ原発事故の後、ソ連政府はキエフから大型バス
1100台で付近住民の避難にあてさせた。福島の事故でも避難
しなければならない地域は広範囲だったのに、政府はバスも
出さなかった。

瓦礫の問題は「バスを配車しなかった」という政府の精神状態
と共通点があるように感じられる。国民に対する背信行為を
続ける政府をなぜ、私の友人や識者が支持して、不安に感じる
善良な国民をバッシングするのか、それがオリンピックに及ぶ
のか、古い迷信的で野蛮な国家に住んでいるようだ。
tdyno.214-(8:21).mp3」をダウンロード

(平成24年8月8日) 武田邦彦

人生講座(1)節約と人生

世界には約60億人を超える人たちが生活をしています.
その一人一人は、それぞれ自分、家族、国家、そして世界を
考えながら、それぞれの人の人生観や価値観に従って生きて
います.
たとえばここに「節約が大切」と思っている人がいるとします。
その人がなぜ「節約が大切」と思っておられるのかはハッキリ
しません.普通に考えると「お金を貯めたい」のか、
「地球環境を考えてのこと」かどちらかのように思います。
でも、この二つは個人の損得と地球環境ですから、
全く違うものでかみ合わないはずです。

ある人(Aさん)が「お金を貯めたい」と思って「節約」を
したとします。昔なら銀行が発達していなかったので、
節約して余ったお金をタンス預金する人も居たと思いますが、
今ではほとんどの人が銀行に預けるでしょう。
銀行に預けたお金は銀行の金庫に入っている訳ではなく、
直ちに貸し出されます。銀行預金の利子がどんなに少ないと
言っても、利子がつきます。一方、銀行は町の一等地に店舗を
構え、冷暖房や電灯をつけ、世間の平均より高い給料を
もらっている銀行員が働いています。かなりの経費がかかるの
でいくら利率が低くても、預金されたお金を運用しないと
やっていけません。

かくして銀行はできるだけ金庫のお金を減らして貸し出し
しようとするのは当然です。つまり、節約してお金を余し、
それを銀行預金すると、そのお金はすぐ別の人が使います。
銀行の本来の働きは社会で余剰となったお金を預かって、
それをお金を必要とする人に回すことによりお金の効率的な
利用をはかることにあるわけですから、社会の正常な働きです。

仮に1年ほど銀行にお金を預けたAさんが、銀行から引き出して
自動車を買ったとします。そうするとAさんが節約したと
思っているお金は、銀行から借りた人が使い、Aさんが使い
ますので二度使われます。つまりAさん個人も節約したこと
にはなりませんし(お金を使う時期がずれただけ)、社会は
Aさんが節約した分だけ2倍の消費をすることになります。

Aさんは日頃から「私は環境が大切と思うから、タクシーを
乗らずにバスを利用するのよ」と言っていました。彼女が
タクシーに乗ればそれだけお金を使いますから、お金が余らず
に預金できなかったでしょう。彼女はいったい、何を考えて
いるのでしょうか?



・・・
かつて、たとえば江戸時代ですが、貨幣経済が発達していない
頃、特殊な場合には本当の意味での「節約」は可能でした。
たとえば、薪(たきぎ)が足りないとき、少し寒いのを我慢
して囲炉裏にくべるのを少なくするというようなケースです。
それでも、もし自分の裏山が充分に大きければ、むしろ積極的
に薪として使った方が裏山を守ることもあります。

ただ、貨幣経済ではないので、「使わない分だけお金が余る」
という事はありません。使わない分だけ「物」が余りますから、
それはまた別の機会に使える場合があるということになります。
この話は主婦の方はピンと来ないかも知れません。主婦の方は
普通、毎日、節約の連続で、少しでもムダ使いを少なくしよう
と努力されています。でも貨幣経済の元では、「ムダを少なく
する」というのは「多のものを買う」ということを意味して
いますから、家庭としては良いのですが、環境を良くすると
いうことにはつながらないのです。

「個人が節約すると、消費が増える」という奇妙な現象は
「合成の誤謬」と言う難しい言葉を使うことができます。
貨幣経済のもとでは、一人の人がやる目的が、全体としては
逆の方向になることが多く、それは経済学ではよく見られる
ことでもあります。
では、なぜ政府や官僚、そして識者と呼ばれる人が
「環境を良くするために節約に心がけましょう」
と言うのでしょうか? 私たちの人生には「節約」とか
「質素な生活」というのはあり得ないのでしょうか?
jinsei01tdyno.212-(7:20).mp3」をダウンロード

(平成24年8月6日) 武田邦彦

「エネルギー問題に発言する会」へのご質問

(この記事は「バッシングし合うより話し合い」を目指した
ものです。私たち技術者の目的は相手を罵倒するのではなく、
最終的に人間の知恵の産物を人間の幸福のために使うこと
ですから)

「エネルギー問題に発言する会」という会が10年ほど前に
できて、原子力関係の技術OBの方が技術の立場から
「正確な情報を提供する」(電気新聞)ことを目的に
運営されています。

この会の発起人は原子力技術のそうそうたるメンバーで、
私も個人的に存じ上げている方もおられますし、技術者と
しても人間としても尊敬できる方が多いのがこの会です。

しかし、福島原発以後、私とかなり違う見解を公に出して
おられます。おそらく技術者同士ですから、議論すれば誤解は
解けると思いますし、私が間違っていることもあると考えられ
ますので、ここにブログ上ですが、ご質問申し上げます。

・・・・ご質問・・・・・

貴会は、「東電福島原発事故後の福島県の復旧対策は、
国際放射線防護委員会(ICRP)による「年間100mSv以下の
放射線被ばくでは健康被害の報告は無い」という基本的考えに
沿った防護基準を拠り所にして行なわれている。」として
おられますが、次のことはご存じと思いますので、上記の
ご見解との関係をご説明いただくと、多くの方がより原発の
安全性について理解が深まると思います.

1) 事故が起こらない場合の「公衆の人工的原因による
 被曝限度で医療を除くもの」は1年1ミリを限度として
 いること、

2) 原発の安全設計に当たっては、福島原発事故の前から
 安全設計が決まっていて、それに沿って原発が作られて
 いたこと、

3) その安全設計の概念はこのページの下に示したように、
 事故の頻度と被爆の限度の関係で決まっていること
 (図は国際的に議論されていたもの)、

4) 従って概念上は、1万年に一度以下の事故なら1年
 1ミリを守る、1万年から10万年に一度の事故なら
 1年10ミリまで、さらに頻度が低い場合は
 1年100ミリまで限度を上げうる、

5) このような事故の頻度と被爆の限界についての概念は
 原発を有する先進国に共通した概念であり、技術的知見
 として共有されていた、

6) 我が国ではこのような国際的な概念に基づき、
 「きわめて希な原発事故の場合、1年5ミリまでの被爆を
 許容する」ということが明文化されていた(下に示した)、

7) また、事故時の被爆によって発生するガンの発生率は、
 事故が起こらない時の0.05%に抑制するとされていて
 (下に示した)、これは1年1ミリよりかなり厳しい数値
 である、

8) これらの概念、設計基準、運用などの情報は国民にも
 開示され、その約束のもとで原発を設計、建設、運転を
 行っていたこと、

9) ICRPは権威のある委員会ではあるが任意団体(NPO)で
 あり、従来からICRPの勧告を日本政府が受け入れるかどうか
 は、日本国内の専門家の検討を経て、しかるべき手続きで
 採用されたり、されなかったりしてきた、

10) これらのことから、今回の事故は原発が計画されてから
 50年目の事故であり、かつ震度6と15メートルの津波である
 ことから、100年に一度、あるいは1000年に一度程度の
 事故であるとされる、

11) 従って、技術者としては国民との約束と今後の
 原子力技術のことを考慮すると、1年1ミリの限度を
 あげるべき理由はない。

12) 技術者にとっては社会的約束(法規や基準など)の
 もとで技術の成果を問うべきと思う。その点で「事故以前
 には日本には事故が起こったときの基準は存在せず、
 ICRPの勧告にそのまま従う以外にない」という論理を
 私はなかなか理解できないでいる。

私が関係してきた技術的経験や公的な基準などから以上の
ように結論できますが、貴会は「ICRPが1年100ミリまで
大丈夫」といったので、日本人の被曝限度は100ミリまで
OKということで、強い影響力を発揮しているように思います.

決して、感情的にならず、相互に理解する道を拓いてください.
私も個人で活動していますので、データや考え方が不十分かも
知れません。間違いがあれば修正しますが、多くの方が今後の
生活も含めて迷っておられますので、前向きのご回答を
期待します.
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(平成24年8月9日(木)) 武田邦彦

タバコの文化を語る

夏の夕べの企画です。
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武田邦彦

人生講座(2)節約したお金を狙う人たち

人生講座の第一回に「貨幣経済のもとでは節約することは
できない。かえって節約は消費の増大になる」ということを
書きました。第2回目は「そんなことはわかっているのに、
なぜ政府や偉い人は節約を国民に勧めてきたのか。
その目的はなにか?」を考えてみたいと思います。

もし世の中が安定していて、年金なども崩壊しなければ、
いざというときに少しの貯金は別にして、その年に稼いだ
お金はおおよそその年に使ってもそれほど不安はありません。
というのは、人間は小さい頃から勉強し、がんばり、仕事を
してお金を稼ぎます。そうして少なくても多くても、稼いだ
お金で楽しい人生を送るのが本筋だからです。

もちろん、楽しさはお金の額とは直接的には関係がありませんが、
小さい頃にお母さんに「一所懸命、勉強しなさい」と言われるの
は、お母さんは子供に、少なくとも人並みに、できれが人より
少しは良い生活をさせたいと思うからです。
だから、月給が20万円より、30万円の方が良いと素直に
考えた方が良いでしょう。買いたい物も買えるように
なりますし、たまにはおいしい物も食べられるからです。
30万円使って楽しい生活をすれば良いのに「地球環境の
ために」「節約する」ということは、お母さんがせっかく
与えてくれたチャンスをいかさずに、無理矢理、暗い人生を
送ることを意味します。
もちろん、30万円を節約して20万円で生活しても12月に
なったら12ヶ月の間、節約して貯めた120万円を下ろして
パッと使うというのならよいのですが、それでは節約には
入りません。

毎月使わずに一度に使うというのは、個人としてはお金を
いつ使うかの問題だけですし、環境としては120万円が
ダブルで使われる(銀行からお金を借りた他人が120万円、
それにさらに自分が120万円使う;前回説明)、
余計に環境に悪いのです。
・・・・・・・・・
それではなぜ、政府は「もったいない」とか「節電・省エネ」
とかいうのでしょうか? まず考えられることは、国民が節約
するとそのお金が政治家や官僚に入るからかもしれません。
つまり、かつて(たとえば、戦後や高度成長時代)は国民が
節約したお金は銀行を通じて民間の企業に行き、そこで国民が
欲しい製品を作ってくれました。つまり、普通は「節約すると、
そのお金で企業が自分の欲しいものを会社が作ってくれた」
ということになります。銀行はその仲立ちをして社会に
貢献していました。

簡単に言うと、ある人が100万円を預けると、企業が100万円
を借りて、120万円で売れるものを作り、自分は10万円を稼ぎ、
銀行に110万円を返し、銀行は5万円をとって、その人に
105万円を返すという具合です。これなら、預金した人は
5万円、銀行も5万円、企業も10万円と全員が喜んだ時代でした。
ところが今から20年前にバブルが崩壊して、成長が止まりました。
経済成長の時代に100万円借りていた企業が(簡単に言うと)
居なくなってしまったのです。同時に「環境の時代」になり
「もったいない、節約しよう」という人が現れました。
かつて100万円を銀行に預けた人は節約して150万円預ける
ようになったのですが、借りる企業が居ないので銀行に
お金が留まるようになります。

企業は経済成長が止まるだけでも困るのに、「節約ブーム」
で50万円を残すようになった(100万円貯金していた人が
150万円貯金するから)ので、それだけ売り上げが減って、
お金を借りて増産するどころか、事業を売らなければならない
ようになります。
この150万円が1年もたたずに引き出して使ってくれるとまだ
何とかなったのですが、「年金不安」と「環境を悪くするから」
ということで預金を下ろして消費することもしなくなったのです。

・・・
そうすると、銀行にお金があふれたので、まず金利をほとんど
ゼロにしたのですが、それでも銀行が赤字になります。そこで
銀行の首脳部が政府にかけあって「余ったお金で国債を買います
から、国債を出してください」と言います。最初のうちは政府も
「赤字国債になるからダメ」などと言っていたのですが、企業が
借りなければ政府が借りないとお金のつじつまが合わないので、
赤字国債を発行し始めます。

これでとりあえず日本のお金のつじつまは合うようになりました。
(簡単に言うと)ある人が150万円を銀行に預けると、国が
赤字国債を出して銀行がそれを買い、国は1年に5万円の利息を
銀行に払います。もちろん、国の仕事は福祉にしても教育に
しても(お金を配るだけのことで)赤字ですから利息に払う
お金も国債を売って何とかします。

つまり「国民が節約し、企業が借りなくなったので、国が国債を
出して借りる」ということが20年間にわたって続いてきたのです。
国に集まったお金は、
1)お役人の給料や国の施設、
2)天下り先の給料(天下り先には国債のお金が行く)、
3)箱物行政で施設ができる(八ッ場ダムのようなもの。
  半分がムダで、半分ぐらいは国民のためになる)、
4)ムダな補助金を配る(たとえばバイオ燃料開発に6兆円を
 出し、すべて失敗して失う)
などとして消えていきました。

・・・
そして20年。ついに赤字国債が1000兆円に近づいたので
「財政健全化」のために消費税の増税を行います。つまり、
国民が節約したお金は国に渡り、政治家やお役人本人や、
彼らと親しい人のところにいきましたが、なにしろ効率の
悪い仕事に使われるので、半分ぐらいはムダに消えて
いったのです。

節約して150万円預金した人はどうなったでしょうか?
国が150万円を借りて、半分は役人の天下りなどに使い、
半分は預金した人も利用した箱物(公民館など)を作り、
そこに働く人の給料を払い、冷暖房費で消えていったのです。
簡単に言うと、150万円のうち、100万円を捨て、50万円
ぐらいを公共サービスとして受け取ったということになります。

かくして国民が節約したお金は政府が使ったので、環境という
面ではなにも変化はありませんでした。つまりこの場合も
「節約」は「環境を改善する」事にはなりません。
さらに、国の借金が増えたので、「財政再建」のために消費税
を増税することになり、その人は税金で150万円を取られます。
国民はますます不安になり、銀行に預けてある150万円は引き
出さず、税金は150万円取られるので、使うのを150万円
減らさなければなりません。ますます不景気になり、政府に
親しい一部の人を別にして、国民総貧乏化が進行中ということ
になりました。

でもお役人は裕福になります。なにしろバブルが崩壊してから
20年。国民に節約さえ呼び掛ければ赤字国債を出してお金が
入ってきますし、赤字国債が貯まりますから、それを補填する
ためにさらに消費税を上げればまたお金が入ってくるからです。
奇妙なことですが、善意で節約をしてきた人はずいぶん日本国民
を苦しめましたとも言えるのです。

「環境のために節約を呼び掛ける」というのは「お役人が
お金をもらう」ということでもあったようです。
(さらに、消費税を増税したお金がどこに行くのか、
私たちの人生はどうしたらよいのかなど次回以後に
踏みこんで考えてみます。)
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(平成24年8月11日) 武田邦彦

速報やお答え
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お手伝いさんのブログ はじめに 2011年12月18日
武田邦彦先生のブログ(音声のみの記事)が利用できない
方のために、実験的にテキスト化してみました。
武田邦彦先生 - みんな楽しくHappy♡がいい♪

ニコ動 武田邦彦教授ブログの音読

2012年8月9日
東電プロデュースの菅直人ヒール役の
吉田昌郎所長英雄説といふ満洲プロレス

が日本国民にバレてしまいそうな件。せっかく実弾をばら
撒きまくって情報操作されてたのに残念ですなあ、
東京電力さん!(w

 菅前首相、官邸前デモ「高く評価」 東電会議映像を批判

 菅直人前首相は8日、東京都千代田区の日本記者クラブで
講演し、原子力発電所の再稼働に反対する首相官邸前のデモに
ついて「組織化されていない市民の参加が多い。国民の意思
表示として高く評価している」と述べた。東京電力が公開した
社内テレビ会議の映像に関しては
「プライバシーを理由に
制限する感覚が分からない」と批判
した。
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDE08001_Y2A800C1PP8000/

要するにカンチョクトは無制限公開を求めてるわけです。(爆w

そもそも原発の安全対策ってのは原発事故発生時にとんでもない
馬鹿が官邸に居座ってるかもしれないといふシナリオをも事前に
想定しておき、それなりの対策やら命令・指示系統を構築して
おくのが鉄則であり、カンチョクトガー!と関係者が喚けば喚く
ほど日本の原子力安全対策とその関係者のダメダメさを海外に
アピールする事にしかならないわけです。

原発での異常事態発生時の総理大臣の能力の有無に影響
される原発安全対策なんてもの自体が欠陥品
なわけですから。

「総理が無能でふぁびょったので原発が大きな事故
を起こしてしまいました」

なんて言い訳が通用するのは東西南北朝鮮ぐらいでしょ。(爆w

で、そもそもカンチョクトが東電が言ってるようにダメダメ
だったのなら既にその証拠ビデオをYoutube辺りに
東電が流出させてるはず。(w


要するに根本は事前にごく当たり前の安全
対策がなされてなかっという話。

(後略)
http://tokumei10.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9.html

by huttonde | 2012-08-07 15:35 | 現実話 | Comments(0)
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