大和沈没について。
真珠湾での圧勝、マレー沖海戦での大戦果。
航空機によって無敵戦艦は沈められる。
Uボート、潜水艦の大活躍。
船はポコポコ沈む。敵国の弱体化に有効。
大艦巨砲主義は時代遅れとなった。
戦のプロは気づいた。はず。船はやばい。飛行機や潜水艦がよし。船ならば、戦艦よりも空母だで、と。
が、そうでもなかったと。
特にお役人としての発想は、凝り固まるとどうにも融通の利かないロボットらしいてのは、小室博士のよく指摘するところ。
石原莞爾は大正時代の陸軍士官大学当時に、飛行機による地上への機関銃の攻撃を今後の有効な手段として、教官の前で黒板に飛行機の絵を書き、「ダダダダダ」と意見を披露したそうで、教官は呆れた様子だったとな。(「秘録 石原莞爾」 横山臣平 芙蓉書房出版)
第一次大戦の欧州での空中戦がヒントだそうで、当然といえば当然だけど、当時の大勢としては、抱えた爆弾を手でヒョイと落とす程度の複葉機、銃で撃ち合ったところでなんぼのもんじゃと思っていたのかも。
「かも」じゃなくて「思っていた」、だろね。
敵に大打撃を与えたら、与えられることも考えておく。
これは無かったらしい。
後世の無知な一般人でも気づくところ。俺も疑問持ったし。
でも、この手の批判は賢者の後知恵と批判される。
賢者はいらなかった。うぬぼれすぎ。後知恵。
特に感情が絡むと面倒。
「当時の軍人も必死だったのだ、世間知らずの若造のお前如きが知った風な口きくな!」とか。
「英霊」には弱い愛国者、皮肉にも思考停止で必勝の作戦、対策を立てられなくなる。
そういえば、支那撤兵に反対する偉いさんの言い訳は、「戦で亡くなった英霊に申し訳が立たない」だそうで、戦が長引けば「英霊」が増えることには無頓着だったようで。
感情論で問答無用とし、反省もされず、同じ過ちを繰り返す。戦中に。
下っ端は厳正厳罰の反面、エリートは何度しくじっても許され、クビと思ったら復活する。仲良くかばい合って信賞必罰は無視される。
まるっきり今のお役人でねえか。
昔軍隊、今官庁、特殊法人大企業てか。